我が子と一門の主を一度に喪った清盛は、表情に悲しみを湛えている。

 朝廷の権力を思うままに操った、傲岸不遜にして偉大なる権力者の影は無かった。

 彼とて人の子だ。

 自らの子供を亡くし、平然としていられるはずは無いだろう。

 今のように打ちひしがれるのが親の常。

 だが、清盛と後白河との間に亀裂が生じ、その関係改善に心を砕いて苦労をしていた重盛を知らない訳もまた無いはずだ。

 今になり、息子に気苦労を掛けたことを悔やんでいるのだろうか。

「……『宋の医者に治療されては、平安京の医術は遅れていることになる。我が国の立つ瀬がない』などと賢臣らしいことを言っていたが……無理にでも治療させていればと今になって悔やまれる……」

 そういう清盛の声は枯れていた。

 朝廷にとって重盛は理想的な大臣であった。

 腹に一物抱える後白河法皇までも、重盛には信頼を寄せていた程だ。

 賢臣の死は、多くの民に嘆かれてしかるべきである。