黒田さんが、余りに大きな声で、はしゃいでいたので、周りにいた人達まで


 僕達に拍手をして喜んでくれた。僕は彼女に「良かったね、これからいろいろ


 旨く行くといいね‥」と言ったけど、受験はともかく僕たちの将来は一体


 どうなるのだろう。僕は何故か自信がなかった。コインが旨く洞に入って


 他人からも祝福され、僕も嬉しかったけれど、そんなに祝福されることなの


 か。良く分からなかった。それよりも周りの大人達に、大げさに注目されて


 いる事の方が恥ずかしい気がした。黒田さんも「何か恥ずかしい‥」と苦笑


 いをしていて、その場から離れたかったようだ。「ねえ、この先にとても


 綺麗な泉があるの。取り敢えずそこまで行きましょ。そしたら休憩しましょ」


 僕はとにかく彼女に付いて行くだけだ。しかし僕は、この時、その泉で彼女


 からとんでもない告白を受けるのを、全く予想していなかった。


  小川に沿って歩いて行くと、僕たちの前を風もないのに、紅葉が西陽を


 浴びて色を変えながら、はらはらと舞い落ちた。落ち葉たちは、僕たちの


 未来を暗示するかのように、様々な色合いを見せていた。いずれの落ち


 葉も落ちていく寂しさは同じであった。落ち葉でふわふわになった山道を


 しばらく歩いて行くと、さらさらと潺(せせらぎ)が聞こえてきた。


 見ると、今まで見たこともない様なエメラルド色の不思議な泉が横たわ


 っていた。この場所に来るまで黒田さんは、すごくお喋りしたり、急に


 寡黙になったりした。少しの事を針小棒大に話したり、僕と握る手も強くし


 たり弱くしたり、話す言葉使いもオーバーに感じられた。


 この先、何があるのだろうか? 何を告白しようとしているのか?


 想像は出来なかったが、黒田さんの振る舞いから、愛の告白みたいな心躍る


 告白ではない様な気がしてきた。何か切ない思いを予感せざるを得な


 い。僕は、ふと、もしかしたら、この秩父の旅が、二度とない最後の


 旅になるのではないかと、自分勝手に不安を募らせていた。


  やっと辿り着いたこの泉は、真実の泉と呼ばれており、若い恋人達には


 最近とみに人気を集めていた。スペインとフランスの国境にあるピレネー山脈の


 トルドーの泉になぞらえて奇跡の泉と呼ぶ人もいた。泉の畔にたたずむと


 「ここが、目的地よ‥」黒田さんは意味深に僕を見つめた。「え?ここが目
 

的地なの?」僕が驚くと「‥ううん、そういう訳じゃないけど‥」
 
 
 ある程度予想はしていたが、黒田さんの真剣そうな言葉遣いと真顔を目の当たりに


 すると、僕は困惑の気持ちで少し心臓がどきどきしてきた。


  風もないのに、紅葉した楓の葉が音を立てずに揺れていた。木漏れ日を浴びて、


 泉の水面がキラキラ輝いていた。深く沈み込んで心配げな僕の気持ちを慮ってか


 彼女は優しい表情になっていた。黒田さんは、約束していた事をしっかり覚えて


 いて、そのことを確認するかの様に僕の目をしっかり見据え「あの、いい?


 聞いて‥。この泉に来たから、約束通り、あなたに本当のことを話すわ。


 何を聞いても驚かないでね‥。実は私、もう直ぐ引っ越しするの‥ロンドンに。


 父の転勤があるからなんだけど。ロンドンには、母の妹もいるし。それと今、


 通っている女子高の姉妹校がロンドンにあるから、そこに転入するの。


 来年は、ロンドンのどこかのカレッジに入学することになると思うわ。


 具体的な事はまだ未定だけど。


  急な話しなんだけど、来年の初めにはロンドンに行くことは決まってるの。


 最初は、父だけの単身赴任も考えたらしいけど、いろいろ考えてこういう


 結論になったの‥。」


  僕は少しは良い話もあるのかなと僅かな期待も残していたが、彼女の全く
 
 
 意想外の話に愕然とした。僕は言う言葉を失い、黙っていた。何だか遠くの山
 

 に親と来て、親から見捨てられた子供の様な絶望感と、焦燥感を感じた。
 

 僕の心は瞬く間に暗くなった。まだ夕方じゃないのに、心の隅まで夕闇が


 迫った。ある程度覚悟はしていたけど、正かこんな結末になるとは思い


 もよらなかった。


  もう11月末なので、都会から離れた秩父路は、紅葉の最盛期で、辺り一面


 紅葉(もみじ)色に染まっていた。取り分け、この泉は山道から外れた奥の方に


 あったので、辺りは人の気配もなく寂寥感は甚だしい。僕が言葉をなくして


 呆然としていると、黒田さんは僕を慰める積りで「ごめんなさい‥。こんな


 楽しい時にいきなり、こんな酷い話を持ち出して‥」


  風が少しでも吹くと、紅葉(もみじ)がはらはらと舞った。紅葉は木漏れ


 日を浴びると、きらきらと夕陽に染まりながら舞い降りた。沈黙する僕に


 黒田さんは「本当にごめんなさい‥。でも家族で話し合ったことだから


 分かって‥」黒田さんは僕の両手を軽く握り「でも永久に会えなくなる訳


 ではないし、昔と違って今は外国もそんなに遠くないし‥。」


  黒田さんは優しく接してくれたけど、僕は余りに辛くて、何も話すことが


 出来なかった。彼女は僕の両手を優しく握ったまま「ロンドンはそんなに


 遠くないし、時差はあるけど電話をすればいつでも話せるし‥」
 

  しかし、僕は小さな子供の様に俯いたままずっと黙り込んでいた。