翌日も予備校の授業はあったが、黒田さんは来なかった。次の日も
  
  
  来なかった。その次の日も来なかった。ラインを入れたが既読されず

  
  もちろん連絡もなかった。どうしたんだろう? 何かあったのか?

  
  僕が何か失礼な事を言って、それを怒ってるのかな?僕は不安にな

  
  った。もしかしたら、もう来ないのかな? 何があったんだろ?

  
  僕は心配で、勉強も手に付かず、家でも学校でも寡黙(かもく)になっていた。

  
  とりあえず予備校だけは休まずに行ったが、授業は上(うわ)の空だった。

  
  秋は受験生にとって最後の追い込みの期間で、一番大切な時期だ。

  
  黒田さんに会えないのと、勉強にも集中できないと言う辛い狭間
 
 
(はざま)で僕は一人苦悩した。

   
   結局、黒田さんが予備校に来たのは、11月も終わろうとしていた
 
  
  金曜日の夕方だった。最後に会ってから、2週間後の事だった。
  
  
  予備校の自習室で勉強をしていた僕の姿を見かけると「あ、お久
  
  
  しぶり‥。」笑顔を見せたものの、寂しそうな横顔だった。「どう
  
  
  したの?ずっと来なかったけど‥。ラインにも出ないし‥。」僕は
  
  
  逸(はや)る気持ちを抑えながら、控えめに言った。自習室は空い
  
  
  ていた。生徒が少ないのに部屋は明るかった。黒田さんは無理に

  
  笑顔を作って「ごめんなさい、連絡取れなくて。ちょっといろいろ
  
  
  あったもんだから。」「そうなんだ‥。あの受験する大学のこと
  
  
  親に言ったの?」「あ、そのことなんだけど。やっぱり貴方と同じ

  
  大学に行くのは無理みたい‥。」彼女はまた寂しい表情になった。

  
  なんか今までにない寂しい眼差しであった。何か訳がありそうだった。

  
  「その内、今後の事あなたにも話すわ‥。」「何かあったの?」「今は

  
  言えないけど、そのうち話すわ‥。」僕はそれ以上無理には聞かなかった。

   
  雨が降ってきたらしく、窓に雨粒が当たり、窓外の景色を曇らせていた。

  
  暫く沈黙が続いた。僕も参考書を開いていたものの、心は心配でいっぱい

  
  だった。


   窓外を見ると、雨脚が強くなってきたらしく、道行く人が急いでいた。


  水たまりを通る車が、遠慮なく水しぶきを上げながら走っていた。


  黒田さんは、読んでいた本を閉じると、以前のような明るい笑顔を


  見せて「あの、日曜日、秩父に行かない?この間、秩父に行って来た


  ばかりなんだけど、なんかまた行きたくなっちゃった‥。」僕が驚いた


  顔をしてると、それを意識したのか「突然で驚いたでしょ?でも


  なんか急に貴方と行きたくなっちゃった‥。」と笑った。「秩父に行


  ったら、お参りしたい神社がいくつかあるし、ゆっくり自然の中も歩け


  るし、もう一度おいしいお蕎麦も食べたいし‥。」僕はただ黙って聞


  いていた。口を挟むいとまがなかった。「あ、そうそう、山の麓(ふもと)


  にとても綺麗な泉があったの。そこでわたし、貴方にこれからの事を


  色々話すつもり‥。」黒田さんの最後の言葉は、良きにつけ悪しきに
  

  つけ、少しは気になったが、今はとにかく黒田さんと一緒に秩父に行くの
  

  が僕の憧れでもあったので、僕たちは日曜日に秩父に行くことになった。


  秩父までは、西武線の特急列車で行けば、東京から70分くらいだ。途中の


  飯能駅から列車は逆方向に進むことになるが、この辺りまで来ると周囲の景色


  は一変し、豊かな自然に包まれる。日曜日の当日、黒田さんは、ジーンズの半


  ズボンに白のソックス、白い長袖のTシャツにジーンズジャケットと言う服装


  だった。ピンクのキャップも被っていて、靴はピンクのスニーカーだった。


  普段は制服しか見たことがなかったので、見違えるほど可愛かった。可愛い


  過ぎるから、他の人達も見ているのではないかと気になるくらいだった。
  

  列車が動き出すと、彼女はリュックの中から小さな包みを取り出し
  

  「あの、これ私が作ったのよ‥。」見ると小さな四角いサンドイッチで、
  

  中にハムや野菜や卵が入っていた。フルーツが入っているのもあった。


  僕が大げさに「これ美味しい!」と言うと黒田さんは、とても嬉しそう


  だった。車中では、将来の夢や好きな作家の話をした。僕の短編小説も話


  題に乗った。そうこうしているうちに、列車は飯能駅に着いた。「わあ、


  見て! 紅葉がすごい! 綺麗‥。」


   飯能は遠くに秩父連山を控えているから、その山麓がまじかに迫っている。


  さすがにこの辺りまで来ると、紅葉は一気に進んでおり、黄色く色づいた


  梢(こずえ)を紅い紅葉が取り囲むように染めている。「ほんと、すごい!」
  

  僕は、紅葉よりも黒田さんの嬉しそうな笑顔を見ていた。秩父に来て良かった

  
  と思った。

   
   秩父には、11時くらいに着き、まずは秩父夜祭で有名な秩父神社にお参り
  
  
  することにしたが、日曜日だったので駅前から人の流れが絶えず、神社の
  

  境内にも参拝者が溢れ、長い行列ができていた。時期が時期だけに紅葉(も
  

  みじ)狩りの観光客も多いのだろう。境内にも樹齢1000年を超える様な欅
  

  (けやき)があって、すっかり色ずいていた。この欅は、名立たるパワー


  スポットで、参拝者たちは両手を樹木に回し、身体をぴったり寄せてパワー


  を受けるのだ。「私もやりたい!ね、一緒にやりましょ‥。」二人は手を


  繋いでやったので、彼女の柔らかい手に触れて、不思議なパワーを感じた。


  ここに限らず、郊外や山の裾野は、都会よりずっと紅葉が早い。境内の


  池に浮かぶ紅葉の景色はモネか誰かの絵画のように幻想的だった。僕たちは


  混んでた本殿のお参りはやめて、裏側にある伊勢神宮の末社にお参りした。


  境内には縁結びの池があって、巻物みたいな小さなおみくじを池に浮かべると


  水と反応して文字が浮き出る仕組みになっている。武甲山の源流から引いた


  池での水占いは、若い女性に人気のスポットとなっていた。黒田さんも楽し


  そうに挑戦したが、浮き出た文字がぼやけていたので「ああ、何これ、


  やだ‥。」と苦笑いしていた。


   それから、暫く市内のお土産売り場などを見て回り、おなかが空いたので


  昼食は黒田さんご指名の蕎麦の社(もり)で美味しい秩父そばを食べた。


  「どう?美味しかったでしょ!」「やばい、うますぎ!」お世辞抜きで


  蕎麦にこしがあり、絶妙な味だった。僕の嬉しそうな顔を見て、黒田


  さんは「良かった‥。」と満足げに頬笑んだ。その後、僕たちは


  市内の名所旧跡をぶらぶら歩いた。秩父祭り会館には、山車や神輿が


  色鮮やかに陳列してあった。また、秩父は札所めぐりとしても有名な所で、


  古いお寺がいくつか散在していた。それからお花畑駅まで歩いて行き


  そこから秩父鉄道に乗って和同黒谷駅まで行った。今回の日帰り旅行


  は何処へ行くかどこで降りるか、すべて彼女がやってくれるから、僕は


  気楽だった。彼女の後をついて行けば良いのだから‥。とりあえず、


  和同黒谷駅から歩いて、和同開珎の記念碑を目指したが、その途中に


  古色蒼(そう)然とした由緒ある聖(ひじり)神社があった。