日比谷公園の噴水は止んでおり、ベンチにはカップルの姿がちらほらあった。晴れ


ていたので、無数の星の粒が月から離れる様に瞬きながら一面に広がっていた。平日


だから園内は空いていたが、屋台が何軒か出ていて、電球の明かりをちらちら灯して


いた。僕たちは街灯が明るくて、他人があまり居ないようなベンチを見つけて座っ


た。夜風が頬に触れて心地よかった。彼女と話をするのに絶好な場所だった。二人で


今日の授業の話をしている時に、唐突に僕が「あの、これ例のやつ‥」そう言いなが


ら自作の短編小説を見せると、彼女は少しびっくりして「わあ、凄い!ほんとにあな


たが書いたの?‥これ借りてもいいの?」「ラインで送ってあげてもいいよ。」「う


うん、原稿用紙で読みたいわ。」彼女の予想外の言葉が嬉しかった。後は彼女の読書


後の感想が気になるが、それはその時、考えればよい事だ。

 
 僕たちは公園の出店で、広島焼を買って半分ずつ食べながら、文学の話や行きたい


大学の話をした。僕には彼女以外に友人がほとんど居なかったので、彼女の存在は、


掛け替えのないものだった。幸い、黒田さんも文学が好きで、著名な作家の作品は国


内外を問わず大体読んでいた。まあ、いわゆる典型的な文学少女に違いない。彼女み


たいにマラルメやリルケの詩集を詠む人は少ない。彼女は自分でも、詩や随筆を書い


たりするが、文学だけでなく絵画やクラシック音楽にも造詣(ぞうけい)が深かっ


た。絵画ではモネやレンブラント、音楽ではショパンが好きだと言っていた。趣味は


僕と似ているが、性格的に僕と全てにおいて気が合うのかはまだ分からない。まあ、


そんなことはあり得ないだろうが。でも、一緒にいて楽しいし、いつも側にいたいと


思うから、以心伝心で彼女も僕の事を気に入ってくれてると思う。だから、彼女とは


仲の良い友達でいたいと思う。 いや友達以上でもいい。側にいると,幸せな気分に


なれるし、リラックスできる。知り合いになってまだ三か月足らずだが、もっと以前


から知り合いだったような気もする。それに、友人が少ない僕には、彼女が尊い存在


であることには変わりない。特に大学受験を控えていて、明るい気分になれない時だ


から、優しい女子の友達はありがたい。幸い黒田さんも僕を優しい笑顔で包んでくれ


るから、僕は幸せだ。黒田さんは澄ましている時は、正に良家のお嬢さんという感じ


だが、笑うと笑窪(えくぼ)が出来て愛らしく、親しみやすい。
 
 
 少し風が出てきたのか、夜風が頬に冷たく触れた。僕は学生服とワイシャツの襟を


立て、夜空を見上げると月が西の空にだいぶ傾いていた。月の明かりを僅かに浴びて


彼女の瞳が潤(うる)んでいる様に見えたので、彼女の横顔に見とれていると、黒田


さんは呟(つぶや)くように「ねえ、同じ大学に行けたらいいわね‥。私、女子大受け


るのやめようかな‥」「え?ホント?なんでそんなこと言うの?でも一緒の大学な


ら楽しそうだけど、親が許さないでしょ!」僕はわざと冷静に言った。そうしている


うちに夜風も冷たくなってきたし、大人のカップルも増えてきたから「もう帰ろう


か‥」と言おうとした時「そうそう、私、この間、従姉妹(いとこ)達と秩父神社に


行ったの。あそこは夜祭が有名なんだけど、縁結びとか合格祈願とかいろいろご利益


(りやく)があるのよ。それから秩父聖(ひじり)神社にも行ったの。そこは大黒様


が祭られているから、ご利益は凄いのよ」こんな時に,なぜ急に秩父の話を始めたの


か僕は少し戸惑った。でも彼女が目を輝かしながら話すので、僕はその場の雰囲気に


任せた。「大黒様は縁結びの神様だから、受験だけでなく健康や開運など万能の神様


なのよ」「そうなんだ‥。面白そうだね」「そうでしょ!その神社の先には、和同開


珎の大きな記念碑や銭洗い池もあるし、それにとにかく秩父はお蕎麦がおいしいわ」


彼女は自慢げにそう言いながら、遠回しに僕にも体験させようとしているみたいだっ


た。彼女は僕が以前、秩父に行きたいと言う話をしたのを覚えていて、急にそれを思


い出したので、秩父の話をしたのだろう。僕も悪いと思って「それじゃ僕もいつか秩


父に行ってみようかな‥ でもなんか一人で行くのは面倒だな‥」僕は軽い気持ちで


ちょっと甘えてみた。「そうかしら、一人旅も気楽よ。行きたい時に行きたい場所に


行けるから。だから今、一人旅がはやっているじゃない。」僕はまだすぐに行きたい


と思っていなかったし、もっと別の返事を期待していたので黙っていた。僕は彼女が


案内してくれるのかなと秘かに願っていたのだった。