悩んでいても日々というのはいつものように過ぎ、桜は今日もピアノのレッスンに励んでいた。
それでもやはり、心の片隅にあるものは消えることがなく……。
「桜ちゃん、なんだか今日は元気がないわね」
ふと、レッスンがひと段落した時に、生徒である敬子に言われる。
「そうですか? いつも通り元気ですよ」
レッスン中に、そんなことを言われてしまう桜は、背筋をピンとさせる。
自分より年上だからといって、生徒に心配されてしまうのは先生として失格だ。
「ふふっ、おばさんには分かっちゃうのよ。一応これでも人生の先輩だから。何かあった?」
敬子は、いつものように穏やかな口調でそう話す。
「えっと……。でも、今はレッスン中ですし、やっぱりピアノ弾きましょう」
「桜ちゃん、私ね、ピアノも好きなんだけれど、それよりも桜ちゃんが好きだからここのピアノ教室に通ってるのよ。いつも笑顔で優しくピアノを教えてくれる桜ちゃんが好きだから。人間だもの、偶にはそういう日くらいあるわ。元気がないと心配しちゃう」
「敬子さん……。私、今二人の男性から告白されてて。一人は幼馴染なんですけど、その人を選ぶと多分ピアノ教室を辞めなきゃいけなくなる。もう一人は、最近会った人で、その人を選べば辞めなくてもすむ。さっき敬子さんが言ってくれたとおり、私もみんなが好きなんです。ピアノを教えることも、生徒もみんな」
「そうなの……。桜ちゃんはどちらの彼が好きなの?」
「正直分からないんです。幼馴染のことは昔から好きでした。でも、それが恋愛感情なのか。もう一人の方はまだ出会ったばかりで、でも、なんとなくはいいなと思っています」
「そう……。私はね、仕事を辞めて好きな人と結婚したの」
「そうだったんですか?」
「ええ。でも、今はそのおかげで桜ちゃんとも会えたし、好きな人といられるのってすごく幸せ。でも…………何が一番大切なのかは自分が決めること。私にとっては、好きな人だっただけで。もし、また悩んでも悩んでも答えが出なかったらおばさんに話して」
「敬子さん……ありがとうございます」



