「お邪魔します」
誰かに向けてというわけではないがそれを言い、奏音は服装を正して桜のあとに着いて行く。
「お母さん」
「あら、まあ。2度目かしらね」
「こんにちは」
以前に桜の家に来た時に、奏音と桜の母は一度顔を合わせていた。
2度目の挨拶をする。
「ケーキ、ぜひどうぞ」
持っていた箱を奏音は丁重に桜の母に渡した。
「みんなで食べようと思って、買ってきたの」
「あら、じゃあコーヒー準備しないといけないわね」
桜は奏音を椅子に座らせて、母と2人キッチンに向かって、コーヒーの準備をした。
「桜、迷惑かけてないかしら?」
「いえいえ、そんなことないです」
桜の母は、満足そうにモンブランを食べながら奏音と話す。
「もう、変なこと言わないでよ?」
「いつ私が変なこと言ったかしら?」
「言ったじゃない、尚が告白したとき…………って、こんな話今することじゃないよね」
目の前にいるのは尚ではなく奏音で、桜は申し訳ない顔を浮かべて話を切り替える。
しかし、思い出してしまった記憶は桜の中で溢れ出てくる。
あの時、もし彼の手を掴んでいたら、今ごろどんな風に自分は生きていたのか。
音楽はどこにでもあるけれど、尚はこの世でたった1人しかいない。
音楽はもしかしたら日本の裏側でも教えられるかもしれないけど、尚は1人しかいない。
敬子の言っていたことが、その言葉の意味が桜の中で弾けて広がっていく。
桜は、そんな考えや想いを必死に消そうと、目の前にあるフルーツタルトに乗っているグレープフルーツを口の中に入れた。
それは、噛むと苦くて、その味を消すために他の甘いフルーツを口の中に入れる。



