「主よ。金はここに置いていくぞ」

 廊下に出るなり男の発したその声に、向かいのカウンター奥で人影が動いた。
 この騒ぎだ、やはり気付いている人がいたのだ。おそらく気付いていながらも恐ろしくてずっと隠れていたのだろう。
 男がカウンターに向かってコインを放り投げるのと、店主らしき初老の男性がゆっくりと顔を出したのはほぼ同時のことだった。

「あ、ありがとうございました」

 震える声でそれでも客に対し礼を言った店主と目が合い、私は必死で頭を下げる。セリーンを早く手当てして欲しかった。
 それが通じたのかその人が何度も頷くのを見て、私は少しほっとする。

 宿を出ると、外は何事も無かったかのように静かに雪が降っていた。そのピンと張り詰めたような空気の冷たさに私は身を竦める。

 と、宿の脇に馬と犬を掛け合わせたような大きくて毛の長い動物が繋がれているのを見つけ私はぎょっとする。
 もしかしなくとも、男はこれに乗るつもりなのだろう。男の姿を見つけその馬もどきは嬉しそうに嘶いた。その声は馬そのものだ。

「また走ってもらうぞ、アレキサンダー。城に着いたら、たらふく美味いものを食わせてやるからな」

 そう言うと、アレキサンダーという名らしい馬もどきはやる気を見せるように鼻を鳴らした。――と、

「!」

いきなり放るようにその背に跨らされ、一瞬目が回る。

 男はアレキサンダーを繋いでいた紐を手早く仕舞うと私の後ろにひょいと跨ってきた。

「こいつから落ちたら即死だからな。死にたくなかったら大人しくしていろ」

 言われ私は小さく頷いた。でも出来ることなら後ろで縛られている腕を解放して欲しかった。どこも掴まれないというのはなんとも心もとない。
 と、男は私の身体をがっしりと抱え込むようにして手綱を握った。……確かに、これなら暴れたりしない限り落ちずに済みそうだ。

 セリーンは大丈夫だろうか。もう手当てを受けているだろうか。
 彼女が早く、また愛用の大剣をその手に握り優雅な剣さばきを見せてくれることを、心の底から願った。


 ――こうして、私はこのグラーヴェ兵と共にノーヴァの町を出たのだった。