まさか、五十嵐と七倉に出くわすとは……。
入口の鍵が開いていたら、さすがに気づいていたと思う。
でも、鍵はしっかり閉まっていたし。
(まあなぁ、そりゃ閉めるよなぁ。僕だって、ぬかりなく(?)鍵閉めたしさ)
ただ、奴らは本当に真面目な理由でここへ来たのだと思う。
生物部の七倉は誰よりもここの生き物たちを大事にしている。
五十嵐も責任感が強い真面目な奴だ。
ふたりは、わざわざ職員室で鍵を借りて、植木や魚たちの世話に来たのだ。
そう、不埒な理由の僕とは違う。
彼女は気づかなかったようだけど、千住先輩は鍵をよこすとき、僕に目くばせした。
工具箱の返却なんてただの口実。
後輩思いの先輩の粋な計らいってやつだった。
でも、園芸部の元部室を彼女に見せてあげたい気持ちはあった。
お気に入りの盆栽とか、彼女が喜びそうなキレイなメダカとか。
言い訳がましく聞こえるかもしれないけど本当だ。
桜野の文化祭へ行ったとき、普段は見られない囲碁部の部室を見せてもらえて嬉しかったし。
僕もそんなふうに、学校での僕を教えてあげたかった。
そうしたら、思いがけない出来事に遭遇したわけだけど……。
けどそれで、僕はいっそう彼女のことが好きになった。
僕の好きな人が、僕のことを同じように想ってくれる。
それだけでも幸せなのに。
大事な価値観が一緒で、心から共感できるって、僕は相当幸せな奴だと思う。
「一応これで建物の中は一通り見た感じになるけど。探検のご感想は?」
2階の備品庫に工具箱を戻しがてら、僕は“何の見どころもない”旧館を案内した。
本当、2階は基本ただの倉庫だ。
それでも、他校の彼女にはそれなりに興味深かったらしい。
「私の学校にはこんなふうに探検できるとこないもん。おもしろいよ、いろいろ」
「ならよかった」
ゆっくりと先を歩く僕の後を、彼女がきょろきょろちょろちょろついてくる。
おかしな例えかもしれないけど、お母さんと幼い子どもの散歩みたいだ。
(ま、こういうとこも可愛いんだけど)
階段の踊り場まで下りて、僕は一旦足をとめた。
(聡美さん???)
振り返って見上げると、彼女は階段の途中で壁や手すりを何やら熱心に眺めていた。
(あー、眼鏡を上げる仕草も何気に可愛いんだよなぁ)
今日も彼女はコンタクトではなく眼鏡だ。
高校に入ってからは眼鏡の日もけっこうあると言っていたけど、僕はまだあまり見慣れていない。
それにしてもなんだろう? 気になるようなものなんて何かある?
「聡美さーん」
「諒くーん」
(あ、なんかこれ楽しいや)
「どうかしたー?」
「ちょっと来て―」
ちょいちょいと手招きする彼女のもとへ、僕はいそいそかけよった。
「どうしたの?」
「あのね、万田(まんだ)先生って数学の神様なの?」
「へ?」
あまりに唐突で面食らったけど、すぐに理解できた。
僕が普段気にもとめない、階段の手すりの落書きだ。
「ほらここ“万田先生 数学の神!救世主!”って書いてあるの。知ってる? そうなの?」
「うん。今もいる先生だよ。もうすぐ定年らしいけど」
僕らは二人して、その落書きをしげしげと眺めた。
「僕は教わったことないんだけどね。文系数学の神様なんだってさ。先輩が言ってたよ」
「へぇー」
「ここ、けっこう落書きだらけでしょ?」
「うん」
「取り壊しが決まってるから黙認されてるんだ」