意地悪をする余裕なんて僕にあるわけなかった。

とりあえず、持ったままだった碁盤と碁石をテーブルの上に置く(まずここからかよ……)。


「“好機到来”って思うよ、僕も」


彼女の肩にそっと触れると、ビシビシと緊張が伝わってきた。

無理してるとか、嫌だとか、決してそういう感じじゃないのはわかってる。

彼女は照れ屋だし、すごく緊張しいだから。

そういうところも彼女らしくて、僕は本当に大好きだ。


「聡美さんは、ガシャンてなると思う?」

「ど、どうかな……」


どきまぎして目を伏せる彼女もいと愛(かな)し。


「試してみても?」


僕の言葉に、彼女は黙ってこくりと頷いた。

そうしたら、力いっぱい頷いたせいで眼鏡がずるりと下がったらしく。

それをグーの手を直す仕草がまた可愛くて。


「聡美さん」

「え?」

「今日も大好き」

「……っ」


まるで不意打ちみたいな、そんなキスになってしまった。


「び、びっくりしたっ」

「ごめん……」


まずは率直に謝る僕。

“君が可愛すぎるから悪い”なんて、言ったらきっと大変なことになりそうだから。

とりあえず、この気持ちは心の中で寝かせておこう。


「そんなっ、諒くんが謝ることじゃないし」

「あわわってなる聡美さん、僕けっこう好き」

「うぅ、もう……」


そうやって拗ねた顔もまた可愛いんだけどさ。


「眼鏡、ガシャンてならなかったね」

「うん。意外と大丈夫なもんだね」


こんなことを真剣にやってる僕らって、ちょっとおバカさん?

でも、真面目にバカなことやって楽しめる関係って、最高だなって思う。


「私ね」

「うん?」

「なんかちょっと“イケナイこと”してるみたいで、へんなドキドキ感あったかも」

「ああ、確かに……」


僕なんて完全によそ様の学校に来て何してるんだって話だし……。


「私、別に悪いコトしてるわけじゃないって思ってるんだよ?」

「うん。たぶん、ひっそりこそこそ、秘密っぽい感じが何かこう……後ろめたさ、みたいなものを感じさせるのかもね」


“背徳感”なんて言葉も浮かんだけど、ニュアンスがいきなり違ってしまいそうで飲み込んだ。


「あのね、私ね」

「うん?」

「嬉しかった、すごく」


彼女はとびきりの笑顔で僕を見上げた。


「学校違うから、こういうのって無理って思ってたけど。やっぱりちょっと憧れてたとこもあって……だから」


最高の笑顔で、こんな可愛いことを言われたら、抱きしめないでいられるわけがない。


「ぎゅっとしてもいい?」

「う、うん……」


僕らの身長差ってどれくらいあるんだろう?

並んで歩いているときも、ちょっと見下ろす感じになるけど。

腕の中にいる彼女は、小さくて、やわらかくて、しかもいい匂いがして(身長に関係ないけど……)。

好きって気持ち、守ってあげたいみたいな気持ち、彼女を想ういろんな気持ちでいっぱいになった。


「可愛すぎて困るよ」

「うぅ、眼鏡がずれるよ……」

「じゃあ、ちょっとだけ外させて?」

「えっ。あ……うん」


僕は彼女の顔からそっと眼鏡を取り去ると、その唇にキスをした。

もちろん、僕の眼鏡がぶつかることはなかった。


「やっぱり大好き」

「わ、私も……大好き」


ずっとずっとこうしていたい気もするけど、そういうわけにもいかない、か。


「そろそろ行こうか? いろんなとこ、聡美さんと一緒に――」

「ああっ!!」

「え???」

「私、メイド服、次の人に届けなきゃ!」

「ええっ!? じゃあ急いだほうがいいよね」

「うん!」


僕らは大急ぎで“お届け先”へ向かうことにした。

ただ、もちろん――。


「右よし?」

「左よし?」

「再び右よし。うん、誰もいないね」


どんなに急いでいても、部室を出るときの“安全確認”だけは怠らなかった。