初めて君に花を贈った日






俺の家は駅近くの住宅街の角にある。周りの一般的な一軒家に比べると、一回りか二回りほど大きいこの家は、大学病院の院長を務める父さんの買い物だ。

俺はこの家の玄関の吹き抜けになった天井を見上げると、時々たまらなく気分が悪くなる。狭い教室も、広い自宅も、結局のところ同じくらい息苦しいのだ。

「母さん、ただいま」

「お帰りなさい朔。今日は少し遅かったわね」

帰宅したらまず自室には下がらず、リビングにいる母さんに挨拶をするのがこの家の決まりだ。

「莉央を家まで送ってたんだ」

「そう。病み上がりなんだからあまり出歩かないでちょうだい。何かあったらどうするの?」

「………はい」


何かって何だよ、何にも起きやしないよ。そう言いたくなるのをぐっと堪えて、とりあえず笑顔で返事をする。


「じゃあ俺は部屋で夕飯まで勉強するから」

「待って。部屋に行くならついでの賢人を部屋に連れて行ってくれないかしら。うるさくて適わないのよ」

そう言われてちらりとダイニングのソファーを見遣れば、2歳年上の兄、賢人が、子供向けのアニメをみてキャッキャッと笑っていた。

「……わかった。兄さん、テレビを消して、部屋に戻りましょう」

「戻りません」

「戻りましょう。自分の部屋で見てください」

駄々をこねる賢人を何とか説得して一緒にリビングを出る。その光景を、母さんはまるで他人事のような目で見ていた。

兄の賢人は知的障害だった。

ひと口に知的障害と言っても、程度や種類があるとは思うが、賢人は比較的重症な方だろう。

周りより少し空気が読めない、なんとなく会話が成立しない程度の人もいるが、賢人の場合は教わって覚えた言葉を場面によって使い分け台詞のように繰り返しているだけで、自分の意思での会話のキャッチボールはできない。

加えて妙なこだわりが強い。さっきの子供向けのアニメだってそうだ。あれを観ないと次の宿題をする、夕飯を食べる、というスケジュールに進めないのだ。無理やりに予定を変更したりするとパニックや癇癪を起こす。

そんな賢人の世話を焼くのは、基本的に俺の役目。

だけど俺は、家族の中の誰と過ごすよりも賢人と居る時間の方が好きだった。

「賢人。賢人が気に入ってるあのアニメ、昔は俺もよく見てたんだよ」

階段を上がり、母さんの死角に入ると、俺はそう賢人に話しかけた。

「でもこの家に貰われてからは勉強ばっかで、興味無い振りしてたなあ、懐かしい」

「朔はすごく頑張ってえらいです」

「あはは、どーも。そのセリフ母さんに言って欲しいよ」

俺の問いかけに賢人は、自分なりに返事を探して会話をしようとしてくれる。

賢人は嘘をつかない。だから俺も賢人には偽りの自分でなくて、素の自分で接することが出来た。