豊臣家と徳川家、果たしてどちらが偉いのか…これは誰もが頭を抱える問題だった。
家格としては豊臣家の方が上だとされているし、家康も元はと言えば豊臣家の臣下だった。
しかしながら家康個人としては秀頼よりも位が上なのだ。
若い頃からの苦労人で、酸いも甘いも知り尽くした百戦錬磨の超ベテランだ。
現在の日本のことを考えれば、10歳の少年よりも家康に従う者の方が多いのも仕方のないことだった。

しかし、家康はもう60歳。
10年後を考えると寿命を全うしてる可能性が高い。
その時嫡男の秀忠は34歳。過去に失敗は幾度かあったけれど、優秀すぎる家臣達に鍛えられ、今はそれなりに経験を積み着実に力をつけてきている。このまま行けば優秀なリーダーとなるだろう。
そして秀頼は20歳。
可能性は未知数だ。
その時秀頼が秀忠よりも官位が上だったら…?
これは政権がまた豊臣に戻る可能性も大いにある。
その時、自家にとって不利益にならないように大名たちは両家を注意深く観察した。

正月明け月が替わった頃になると、大名家の使いの者達がばらばらと豊臣家に挨拶にやって来た。
「此度は遅くなり申して申し訳ございません」
遅くなっても一応挨拶にやって来た大名たちは、豊臣に本当に恩を感じている者もあれば、何かあった時のために関係をキープしておきたい者など様々ではあったが、共通しているのは徳川家から許可を得てからやって来ているという事だった。
権力を持った徳川家が豊臣家を良く思っていないのは一目瞭然だった。
豊臣の味方だと判断されれば徳川から何をされるかわかったものじゃない。
だから誰しもが徳川家の顔色を窺う。

「そういえば、そなたは大坂にはもう行かれたのかな?」
正月、家康は大名が挨拶に来るたびに尋ねる。
「いえ…まだでございます…」
「ええと…まだと申しますか…」
「今回は距離も遠いですし見合わせようかなと…」
めちゃくちゃ困ってる諸大名に家康は大きく笑って言う。
「何をやっているのじゃ~!
早く行っておやりなさい!
大坂も皆の来城を首を長うして待っとるはずじゃ」
家康ほど裏表のある人間はいない。
言葉通り受け取っていいのか?
器が大きいと見せかけて、本当に挨拶に行けば裏切り者だと判断されるのではないだろうか?
諸大名たちは苦しい判断を迫られることになった。