後陽成天皇の譲位式は3月27日、即位式は4月12日に行うことが決定した。
それに合わせ徳川家康をはじめ各地から続々と有力な大名たちが上洛をしてきた。
式典の前の20日には、御所にて後陽成天皇最後の叙任式が大々的に執り行われた。
関白右大臣九条幸家は関白左大臣へと昇進し公家の最高位となる地位を手に入れた。
内大臣鷹司信尚はスライドして右大臣へと昇進した。
家康の5歳になる10男の鶴千代は元服をし、頼房と名を改めた。
同母兄の頼宜と同じく、「頼」の字を賜った。
そして正四位下左近衛権少将に任官された。
家康の10歳になる8男義直と9歳になる9男頼宣は従三位参議左近衛権中将の地位を賜った。


一週間後の3月27日。
ついに後陽成天皇の譲位式が執り行われた。
政仁(ことひと)親王はこれをもって第108代後水尾(ごみずのお)天皇となった。

不安そうな後水尾天皇に対し、後陽成上皇は憑き物が落ちたかのように晴れ晴れとした表情を浮かべている。
「これで自由だ~!!
何しようかなぁ」
「父上、お分かりかと思いますけど今の朝廷の財政は非常に厳しい状態です。
あまり羽目をお外しになられませんよう」
「うっせぇなぁ!!
こっちは25年も我慢してきたんだよ!
上皇ってのはなぁ、天皇より偉いんだ!
ごちゃごちゃ言うな!!!」
面倒ごとを押し付けられただけにしか思えないこの譲位に後水尾天皇は不快感を覚える。
「くそオヤジめ……!!」

「ふぅ……、前途多難だなぁ…」
九条幸家は胃痛を感じながらも2週間後に執り行われる即位式の準備に取り掛かった。