その後の後陽成天皇はすっかりやる気を失い厭世的になってしまった。
「俺の言うことなんて誰も聞きやしないんだ
ほんと、もうやだ。
譲位したい。
東宮だってそろそろ元服しても良い頃だろ?」
「もう少し頑張ってみませんか、主上…」
「……幸家くん、
俺さ、本当に辛い。
このままだと血圧上がってこの間みたいに倒れてそのまま死ぬよ…?」
「…」
「医者にかかってちゃんと養生したい。
それすら許されないのか?」

天皇は孤独である。
天皇である間は子を設ける以外、その玉体には誰も触れてはならないという決まりがある。
医者であろうともだ。
後陽成天皇は昔から身体が強くなかった。
それでも父が急死していきなり即位することになった15歳から20年以上頑張って来た。
最近は怒る事が多すぎて血圧が上がりっぱなしである。
「もう、疲れちゃったよ。
許してくれないか、幸家?」
幸家は頷く他なかった。

ごちゃごちゃ言って来たのは案の定、家康である。
東宮である政仁(ことひと)親王はまだ13歳と若い。
せめて成人する歳、15になるまで待つべきだと訴えた。
家康には徳川家の姫を入内させたい思惑があった。
和姫はまだ2歳。
東宮が天皇として即位してしまえば妃をもたない訳にはいかない。
姫が成長するにはあと10年はかかる。
その前に他の女が後継を産んでしまうと厄介だ。

その上で後陽成天皇の不満に対し理解を示した。
「確かに主上が言うように
”公家だから、罪に問われない”からと言ってやりたい放題なのは間違っておる。
公家は民衆から尊敬される存在でなければならぬ。
公家には公家の法律が必要じゃ。
公家衆が自分たちで決めると家同士の確執が生まれやりにくくなる事であろう。
よかろう!
わしが泥を被って嫌われ役を引き受けようではないか!」

家康は板倉と連絡を取り合いながら、公家をまとめる草案を練り始めた。