「千姫様、皆々様、大変お世話になりました」
佐奈さんは深々と頭を下げた。
「道中、お気をつけて」
「ありがとうございます」

「お姉ちゃん…加奈もがんばってしょうじんするから…」
加奈は結局大坂城の侍女見習いとして働けることとなった。
毒入りのおかゆ事件は未然に防げたことで赦された。

「悪意がなかったこの子を責めるのはあまりにも短絡的過ぎます!
きちんと教育がされてましたらこのような事態には陥らなかったでしょうし、
この子を罰するのは千姫様も悲しむはずです。
私が一から教育しますから、どうかお赦しを!!」
その場にいた松は必死に嘆願した。
その後、大坂城では新しくやって来た侍女や女童たちにも全員教育を受けさせる運びとなった。
その授業がない時は、加奈は松の下で仕事を覚える。
松は今まで一番年下ポジションだったので、お姉さんになれて少し嬉しそうだった。

秀頼は見送りには来れなかったが昨晩挨拶に来たそうだ。
「本当に良くしていただいて…」

大坂に来る前は、秀頼様なんて正直なところただの世間知らずのおぼっちゃまだと思ってた。
どうせ何の苦労もなく良い暮らしをして来たバカ息子なんだろうと。
それでも良かった。
お金を持っていてまだ幼いけれど顔も良いと聞く。
酒と色香に溺れさせてしまえば扱いやすいだろう。

あの頃淀殿から招待されていた公家と共にやって来ていた若い女性たちは、ほぼみんな訳ありである。
すぐにでも子供を産めるくらいの妙齢の高貴な女性は普通なら既に結婚をしている。
そんな年齢なのに相手がいないというのは、没落貴族であるかそれ以下の身分の者であるか父や夫を亡くして後ろ盾がないかなど何かしら訳がある。
佐奈も親を亡くし親戚をたらい回しにされて媚を売り何とか養女にしてもらったり苦労して生きて来た。
そんな女に待っている未来は、金を持っているジジイの側女か下働きかそんなものである。
だから苦労知らずの箱入り息子との顔合わせは玉の輿に載る絶好のチャンスだと思った。

正妻がいるらしいけど、まだまだ子供じゃない。
割り込む隙はいくらでもあるわ!

今思えば、何と浅ましい考えであったことだろう。
まだ若過ぎる当主は、少年のあどけなさもありつつ知的で大人びた目をしていた。
贅を尽くそうと思えば尽くせる環境の下で彼の体躯は余分な肉も無く鍛錬を欠かさず行って来ただろう事を物語っていた。
毎日女性への勤めを果たしながらも色に溺れることなく、誠意をもって丁寧に私たちを扱ってくれた。
千姫様も同じだ。
お家のことを一番に考え、真摯に礼を尽くしてくれる。
普通なら側室の存在なんて嫌でたまらないはずなのに
明るい笑顔で接してくださって
適度に広く暖かく明るいお部屋を用意してくださり
栄養バランスの取れた暖かい食事を提供してくださり
今後必要になるであろう知識などの教育の場までも与えてくださった。
私がこの子くらいの齢だった頃こんな風には考えることが出来なかった。
こんなに毎日粛々と誠実に努力し続けている方々に会ったのは初めてだった。

私は今、あの方の、いえ、豊臣家のお子を成せた事が嬉しくてたまらないし、豊臣家に尽くせることを心から誇りに思ってる。
「ここに来れて良かったです。
秀頼様と千姫様に出逢えて良かった。
本当にありがとうございます。
しっかりと奈々姫をお育てしてみせます!」
たくましい母の表情になった佐奈の笑顔は神秘的な美しさだった。

「では、よろしくお願いいたします」
「お預かりいたします」
お初さんも大坂城のみんなに深々と頭を下げた。

佐奈さんと奈々姫は、お初さんが乗ってきた輿に隠れ乗って若狭へ向かう。
大坂城は少し静かな日常を取り戻した。