ロベール国の若く聡明でお優しく、優美で高貴、かつ部下想いの第二王子ルイス様の密偵改め、元密偵の私は本日付けで同城の厨房勤務となりました。主に皮むき皿洗い担当の雑用として。
 最初に私が希望していた一週間の調査機関は、調査にあたるうち、瞬く間に過ぎていった。主様は休暇も取ってはどうかと提案して下さいましたが、休んでいる暇はありません。

 主様……ああっ! 主様……

 同僚の素性調査から勤務初日、気を抜くと『主様』と呪文を唱えているうちに一日が終わってしまいそうです。
 まだ同じ城にいるとはいえ、主様との距離は果てしなく遠い。元々私は特別な身分の人間ではありません。普通の両親から生まれた、多くの人の中にいれば埋もれてしまうほどの人間です。特別な見た目も、特別な地位もありません。主従という関係を解消されてしまっては、主様に会う資格がないのです。むしろこれまでの日々が特別すぎました。
 けれど失ったのなら取り戻せばいいんです。たとえ何年かかったとしても返り咲くことを誓ったのですから!

「本日からこちらに配属になりました。サリアと申します。よろしくお願いします」

 気合いを入れて初日の自己紹介に臨む。どこで働こうと最初の印象が肝心だ。丁寧に頭を下げることも忘れない。

「ほう。田舎から出てきたと聞いてはいたが、それなりに礼儀はわきまえてやがるな。うちの副料理長より愛想があっていいねえ」

 不遜な態度で品定めをするのは料理長のユーグ。
 新しく入った私を使える人間か、そうでないのか見抜こうとしている。この厨房の支配者にして、私が技術を盗むべきターゲットだ。
 ユーグは不愛想な見た目に反して礼儀を重んじる。だから最初の挨拶は肝心。愛妻家で必ず仕事は定時で切り上げたいという思考の持ち主だ。つまり仕事が遅ければ彼に認めてもらうことは不可能。彼の叱咤に涙を流した料理人は多いという。
 ちなみにこれらの情報は彼と仲の良いジオンから得たものも多い。