とにかく今は目の前の教材を仕上げることだ。源清先生に初めてお会いしたその日の晩から作りはじめていたがまだ完成していない。
 今回の教材は文の組み立てについてのもの。いくつかセンテンスを作り、どう繋げるのが良いか、組み合わせを変えることによって伝えたいことや意味が変わってくることを考えさせるもの。
 単なる例文ではあるので、そう難しいことはない、と作る前は思っていた。
 しかし手を付けてみれば意外と手のかかるものであった。子供たちの年齢や習熟度に合うようなものを、何種類も作らなければいけない。
 そしてそれぞれ長さが必要になってくる。勿論、最終的な文章としての統合性も。
 今回は物語調にしようと思っていた。
 幼い子供向けには親しみやすいよう、童話風に。
 逆に大きくなってきた子たち向けには少し論調のあるものを。
 書き分けにも頭を使うのであった。
 教材としては自分で言ったように一般に流通している小説を使うこともある。今回それをしなかったのは単純に金香の趣味だ。
 自分で作ろうと決めてそれを上の教師に伝えたことをちょっと後悔している。そのことで源清先生のお耳に入ってしまったのだから。
 後悔というのは自分の稚拙な文を『見ていただける』という事態に軽率に持っていってしまったことである。こうなると知れていたら、もっと違う方法を取ったのかもしれないと思うのだが、どちらにせよもう遅いのであるし。
 それに嬉しかった。
 文を書くのが好きなのだ。小説家の先生に見て貰えるなど身に余る光栄。
 もう何回噛みしめたかもわからぬことをもう一度胸の中で反芻し、金香は半紙に鉛筆を走らせた。
 頭の中にあることを鉛筆で文字としておろしていく。それは緊張しつつも心地良く愉しい作業であった。
 気が付いたときには夜はすっかりふけていた。日付も変わっているかもしれない。
 いけない、早く寝ないと、と金香は慌てて鉛筆を片付けた。
 これほど夜更かしをすることはあまりない。寺子屋へ行く前に家のことをするために、早くに起きねばならないのだから。
 明日は少々寝不足になるかもしれない、などと思いながらも金香は満足していた。
 この進み具合ならば明後日には完成しているだろう。
 つまり源清先生が明日ひょっこりと現れない限りは「まだ出来ていません」などと情けないことを言う事態にはならなさそうだった。