「寝過ぎだろうがああああああっ」
耳のすぐそばで叫ばれた声が、ディアナを強引に寝台から離した。あまりに驚いたディアナは、枕を抱いたまま寝台から転げ落ちた。
「……い、痛い」
「いつまで寝てんだ、姫よ」
侵入者はグリフィンだった。寝ぼけているディアナをかかえて起こしてくれた。
部屋は薄暗い。
「よ、夜這い? まさか」
「なんで俺が、お前に夜這いするんだ」
「だってグリフィン、私のこと『好き』って。『キールには渡したくない』って、言ってくれましたよね。激しい恋ゆえの夜這いですか。少しでも早く、む、結ばれたい、とか。恋は狩りじゃありませんから、獲物みたいに扱うのはやめてくださいね」
「妄想か。寝ぼけてないで、早く行こう」
「って、グリフィン……どこへ」
「お前の、銀の国だ。出立する」
「は?」
グリフィンは床の枕を拾い上げた。
「は、じゃないぞ。昨日の話、忘れたのか」
「い、いいえ。覚えています、けど」
窓の外は、ようやく夜が明けたばかりでまだ暗さを残している。
「さっさと済ませることにした。できれば、コンフォルダへの大移動までには帰りたい」
なるほど。面倒なことは先に終わらせて、城の移転に間に合わせたいのか。
「働き者、ですね」
「ほら、立つ。着替えて。キールに、気がつかれたくないんだよ。あいつ、どうしても俺たちと一緒に行くつもりらしい」
なんだ、それなら最初に言ってくれればいいのに。ディアナは笑いをこらえられなくなった。
「な、なにがそんなにおかしいっ」
「いいえ。いいえ。なにも」
騒ぎを聞きつけたアネットが寝室に入ってきた。
「まあ、グリフィンさま! どうして、ここの王子は姫の部屋に勝手に」
「とっととディアナを着替えさせろ。姫は、先にもらってゆく。荷を持って、あとからついて来い」
……新しい、旅が、はじまる。
ディアナを乗せたグリフィンの馬は、銀の国に向かっている。
挨拶もしないで、ルフォン城を出てきてしまった。明るくなって、ふたりが先に出立したことが分かれば、大騒ぎになるだろう。
「俺は、お前に怒っている。タロットのことだ」
「タロットの?」
「ああ。あいつの成長を、俺は楽しみしていた。そして、どんな子どもを生んでくれるか、期待していた。なのに、天馬は降りてこない。屈強な軍馬の生産が、中断されてしまったじゃないか! 責任を取れ。銀の国の良血馬を、俺に差し出せ。我が国の馬は狭い範囲で交配を繰り返したために、血が飽和している。タロットのような、新しい血がほしい。銀の国でいちばんの馬を」
「分かりました、探してみましょう。グリフィンに、満足していただける馬がいればいいのですが」
「もうひとつある。タロットのような馬が生まれて育つまで、何年もかかる。相手は生きものだ。思い通りにならないことのほうが、たぶん多いだろう。しばらく、俺の仕事を……俺のそばで、手伝え。必ず」
さすがに照れくさかったのか、グリフィンは前方を見据えて空に向かって話していた。そんなグリフィンが、今では愛らしくさえ映る。
「はい。必ず。あなたの隣で」
ディアナははっきりと答えたから、グリフィンもやさしく、ほほ笑んでくれた。
「今すぐでなくてもいい。銀の採掘が軌道に乗って、新しい馬が生まれたら……近い将来、俺と守り刀を交換してくれ」
「……はい! 喜んで。グリフィンの守り刀、早く見てみたいわ」
「そうだな。まずはもっと、腰を俺の体に寄せて、くっついてくれるか」
「や、やだ。グリフィンったら大胆なんだから。馬の背中の上で、いちゃいちゃしようなんて。町を抜けたばかりよ。人目もあるわ、いけません」
過剰反応のディアナに、グリフィンはいささかあきれた。
「いちゃいちゃじゃない。後続隊が来ている。追いかけて来る蹄の音が聞こえないのか。キールを含め、使者の補佐どもが列を成してぞろぞろと。面倒だから、抜け道に入るぞ。それに……もう、しばらくだけ、お前をそばに感じたい」
ディアナは照れながら、そっとグリフィンの背中に両手を回した。グリフィンの片腕が上から押さえつける。
「ちょっと揺れるから、しっかりつかまっておけ」
グリフィンに操られた馬は街道を逸れ、山道に入った。グリフィンだけが知っている、道なき道をゆく。顔すれすれの位置を、木の枝や木の葉が過ぎて行く。驚いたディアナは、グリフィンの胸に顔をそっと沈めた。かすかに藁の香りがする。
「国境付近には、これが近道だ。銀の国に着いたら、俺の刀を姫に見せてやろう。自分で言うのもなんだが、うっとりするほどいい品だぜ。母の形見なんだ」
「それは楽しみ」
とても、しあわせだ。
ぜったいに、この手は離さない。
ディアナはグリフィンのぬくもりに包まれつつ、どこまでもついていこう、と決心した。 (了)
耳のすぐそばで叫ばれた声が、ディアナを強引に寝台から離した。あまりに驚いたディアナは、枕を抱いたまま寝台から転げ落ちた。
「……い、痛い」
「いつまで寝てんだ、姫よ」
侵入者はグリフィンだった。寝ぼけているディアナをかかえて起こしてくれた。
部屋は薄暗い。
「よ、夜這い? まさか」
「なんで俺が、お前に夜這いするんだ」
「だってグリフィン、私のこと『好き』って。『キールには渡したくない』って、言ってくれましたよね。激しい恋ゆえの夜這いですか。少しでも早く、む、結ばれたい、とか。恋は狩りじゃありませんから、獲物みたいに扱うのはやめてくださいね」
「妄想か。寝ぼけてないで、早く行こう」
「って、グリフィン……どこへ」
「お前の、銀の国だ。出立する」
「は?」
グリフィンは床の枕を拾い上げた。
「は、じゃないぞ。昨日の話、忘れたのか」
「い、いいえ。覚えています、けど」
窓の外は、ようやく夜が明けたばかりでまだ暗さを残している。
「さっさと済ませることにした。できれば、コンフォルダへの大移動までには帰りたい」
なるほど。面倒なことは先に終わらせて、城の移転に間に合わせたいのか。
「働き者、ですね」
「ほら、立つ。着替えて。キールに、気がつかれたくないんだよ。あいつ、どうしても俺たちと一緒に行くつもりらしい」
なんだ、それなら最初に言ってくれればいいのに。ディアナは笑いをこらえられなくなった。
「な、なにがそんなにおかしいっ」
「いいえ。いいえ。なにも」
騒ぎを聞きつけたアネットが寝室に入ってきた。
「まあ、グリフィンさま! どうして、ここの王子は姫の部屋に勝手に」
「とっととディアナを着替えさせろ。姫は、先にもらってゆく。荷を持って、あとからついて来い」
……新しい、旅が、はじまる。
ディアナを乗せたグリフィンの馬は、銀の国に向かっている。
挨拶もしないで、ルフォン城を出てきてしまった。明るくなって、ふたりが先に出立したことが分かれば、大騒ぎになるだろう。
「俺は、お前に怒っている。タロットのことだ」
「タロットの?」
「ああ。あいつの成長を、俺は楽しみしていた。そして、どんな子どもを生んでくれるか、期待していた。なのに、天馬は降りてこない。屈強な軍馬の生産が、中断されてしまったじゃないか! 責任を取れ。銀の国の良血馬を、俺に差し出せ。我が国の馬は狭い範囲で交配を繰り返したために、血が飽和している。タロットのような、新しい血がほしい。銀の国でいちばんの馬を」
「分かりました、探してみましょう。グリフィンに、満足していただける馬がいればいいのですが」
「もうひとつある。タロットのような馬が生まれて育つまで、何年もかかる。相手は生きものだ。思い通りにならないことのほうが、たぶん多いだろう。しばらく、俺の仕事を……俺のそばで、手伝え。必ず」
さすがに照れくさかったのか、グリフィンは前方を見据えて空に向かって話していた。そんなグリフィンが、今では愛らしくさえ映る。
「はい。必ず。あなたの隣で」
ディアナははっきりと答えたから、グリフィンもやさしく、ほほ笑んでくれた。
「今すぐでなくてもいい。銀の採掘が軌道に乗って、新しい馬が生まれたら……近い将来、俺と守り刀を交換してくれ」
「……はい! 喜んで。グリフィンの守り刀、早く見てみたいわ」
「そうだな。まずはもっと、腰を俺の体に寄せて、くっついてくれるか」
「や、やだ。グリフィンったら大胆なんだから。馬の背中の上で、いちゃいちゃしようなんて。町を抜けたばかりよ。人目もあるわ、いけません」
過剰反応のディアナに、グリフィンはいささかあきれた。
「いちゃいちゃじゃない。後続隊が来ている。追いかけて来る蹄の音が聞こえないのか。キールを含め、使者の補佐どもが列を成してぞろぞろと。面倒だから、抜け道に入るぞ。それに……もう、しばらくだけ、お前をそばに感じたい」
ディアナは照れながら、そっとグリフィンの背中に両手を回した。グリフィンの片腕が上から押さえつける。
「ちょっと揺れるから、しっかりつかまっておけ」
グリフィンに操られた馬は街道を逸れ、山道に入った。グリフィンだけが知っている、道なき道をゆく。顔すれすれの位置を、木の枝や木の葉が過ぎて行く。驚いたディアナは、グリフィンの胸に顔をそっと沈めた。かすかに藁の香りがする。
「国境付近には、これが近道だ。銀の国に着いたら、俺の刀を姫に見せてやろう。自分で言うのもなんだが、うっとりするほどいい品だぜ。母の形見なんだ」
「それは楽しみ」
とても、しあわせだ。
ぜったいに、この手は離さない。
ディアナはグリフィンのぬくもりに包まれつつ、どこまでもついていこう、と決心した。 (了)