木陰で抱き合って、唇を交わしているのは紛れもない、キールと王太子妃だった。
 目が悪くなったのかと、ディアナは自分の双眼を手でこすってみたが、状況はちっとも変わらなかった。
 大胆にも、キールは王太子妃の舌を絡め取り、王太子妃もそれに深く応えていた。官能的な匂いがする。ディアナのついていけない世界が、広がっていた。

 王太子を裏切って、こんな場所で、まさかまさかまさか。

 どちらかというと、積極的なのはやはりキール。さすが、市井の乙女から守り刀約三十振りを奪う実力の持ち主。やがて王太子妃の口からは荒々しい呼吸が漏れはじめ、事態の深刻度が加速しているとディアナは察知した。

 このままじゃ、あぶない!

 あのふたりを、現実に引き戻さなければ。サルよりも、初々しい少年を愛したい気持ちはディアナにもやや分かる。けれど、していいことと悪いことがある。ましてや、なにも知らない王太子は、大いに酔っ払って夢の中。

「なに見てんだよ。覗きの趣味でもあるのか、ディアナ姫さんは」
「ひいっ」

 振り返ると、グリフィンがディアナの背後に立っていた。姫らしくない悲鳴が漏れた。

「ああああの、グリフィンさま、あれは」

 おそるおそる、ディアナはあやしい絡み合いに向かって指を差した。

「あれ? ああ。あれな。気になるのか。姫さんもしたいのか」
「やりたくないっ。したくありませんっ」

「ふーん。動揺し過ぎだろ、ディアナ姫さん。膝が震えているぞ、がくがくと」
「えええ! ほほ、ほんとうに! で、でも、だってキールがまさか、王太子妃さまと。王太子さまを差し置いて、どういうこと」

 いわゆる、浮気というやつだろうか。しかし、夫妻は無敵な新婚らぶらぶカップル。義弟と深い仲になる意味が分からない。

「声が大きい。あれは、治療だ」
「ち、治療?」
「そうだ。キールは一日一回、他人から免疫をもらわないと生きていけない体なんだ。幼いころ、呪いをかけられてしまった」

「……呪い、ですか」
「キールがかぜをこじらせて、何日も高熱が続いて生死の境をさまよったとき、あやしい術師に頼ったのが間違いだった。病状を好転させるためには、他人の免疫が必要だと。そのときは母である王妃が免疫を分けたが」

「じゃ、じゃあ、グリフィンさまも、たまにはキールに治療をするのですか?」
「俺では、だめだ。『健康で若い女性の免疫』が、条件だ。姫さんも、キールに迫られたこと、あるだろう」

 不自然に顔を近づけてきたり、危うい場面は何度もあった。あれはすべて、免疫を欲していたためなのか。

「はい……あります」
「口づけを望まれたら、どうか断らないでやってくれ。あれをしないと、夕刻には肌が土気色に変わり、呼吸が困難になる。あの体ではとてもじゃないが、いくさには出られないだろう。まさか、女連れで戦場には出られない。本来なら王位継承者第一位のロベルト王太子が政務を、第二位のキールが軍事を掌るべきところだが、軍は俺が代理を務めている。だが俺は、王位から遠い場所にいたい。あくまで、キールの代わりだ。やつが病を克服したら、さっさと軍の指揮権を譲るつもりだ」

 グリフィンは、王位争いで国が荒れるのをよほど心配しているらしい。

「だから、よろしくな。城下の町でいろいろと不始末をしているようだが、キールの件に関して王は寛容なんだ。十五のくせに、キールがやたらとませているのは、あの治療のせいだ」
「娘たちが持っている守り刀を、集めていると説明されました」
「うぶい娘から免疫をいただくには、それなりの理由が必要だからな。どうせ唇を交わすなら、自分の好みの女性がいいだろう? できれば若くて美しくて」

「で、でも! 不特定多数とそういう仲になるのは、よくない、と思います。いくら王子でも、節度をわきまえた行動を心がけないと、国民の非難を受けるでしょう」
「よく分かっているな、ディアナ姫さんは。お前にキールの手綱を持たせたいのは、そういうところだよ。これで天馬や銀脈にもつながれば、言うことない」
「……はあ」

「ただ闇雲に馬を見て回るだけで、天馬には出会えるものなのか? お前の、ぼんやりしたやり方を見ていると、いらいらしてくるんだが。収蔵殿の書庫に、以前俺が集めた馬に関する書物がある。その中に、なにか参考になることが書いてあるかもしれないぞ。今度、案内してやろうか」
「ほんとうですか、嬉しい!」

 天馬探しに関しては、ディアナも閉塞感を感じていたところだ。

「よし、じゃあ明日にでも。そろそろ『治療』が終わるころだ。覗き見ていたことが知られたら、気まずいだろう、行くぜ」
「グリフィンさま、ちょっと待ってください。王太子はご存知なんですか。あんなに長くて色っぽい治療方法だなんて?」

 グリフィンは少し考え込んだ。

「治療は了解しているが……あの濃密さはたぶん、知らないと思う。妙な雰囲気あるからな、あのふたり。治療に本来、あんなもつれ合うような濃い口づけは必要ない。ふざけるのにも、程度があると思う。最近、キールは治療に王太子妃を指名することが多いな。まさか、妙な仲にまでは進展していないと思うが」
「王太子夫妻は、とっても仲がよろしいですもの」
「まあな。だが、人の心配をするより、自分のことを考えろ」

 口づけを断るな、グリフィンには言われたが、ディアナはきっと断ってしまうだろう自分を予感した。誰でもいいならば、自分でなくてもいいのだ。
 足音を立てないように、ディアナとグリフィンは広場に向かった。