先頭を走っていたキールは、だいぶ前に到着したらしい。すでに馬を下り、馬具を外していた。
 やや遅れて、グリフィンとディアナ。
 最後にゆっくりと王太子と妃が。


 城下の町を過ぎ、牧草地を抜け、清らかな川を渡り、ゆるやかな山を越えると、目的の宮殿だった。小ぢんまりとしているが、湖に面した宮殿はとても優美だった。白壁に、緑の屋根が映える。

 初めこそ、タロットはディアナの命令にあまり従わなかったが、根気よくディアナが諭してゆくうちに、心を開いてくれたようで、宮殿に到着したころにはタロットをまるで手足のように、自在に動かせるまでになっていた。

 それぞれ、従者や護衛をずらずら引き連れている。ごくごく内輪の行事とはいえ、王位継承権を持つ兄弟たちの外出。自然と警備も手厚くならざるをえない。全員が揃って宮殿に入った頃には、太陽は南に移動し、昼も近かった。

 出発前にああ言ってくれたが、ディアナはまだキールに対してわだかまりが残っているので、親しく話しかけられない。グリフィンもなにやら誤解しているふしがある。かといって王太子は妃とらぶらぶで、すでにワイングラスを傾けている。昼餉まで、暇を持て余したディアナは仕方なく、馬具の手入れをしていたグリフィンに話しかけた。

「ここは、どういう宮殿なのですか」

 邪魔されたと感じたのか。無愛想顔で、グリフィンはディアナに答える。

「俺の母親が住んでいた宮殿だ、コンフォルダは。王妃に遠慮した俺たち母子は、ここで暮らしていた。母が死んだあとは王が管理をしていたが、来年には正式に俺のものになる予定なんだ。ここだけは、母の唯一の遺産のようなものだから」
「グリフィンさまの、育った場所ですか」
「まあ、そんなところだ。王妃は立派な女性だ。だが、王の寵愛のこととなると、どうにもなかなか。いたずらに刺激したくない。俺は二十歳の誕生日と同時に城を出て、せいぜいこちらで独立させてもらうさ。新しい馬房を立てて、繁殖用の牝馬を導入して」

「……王位を、遠ざけるために、ですか」
「王軍を束ねている現在、すでに力を持ち過ぎている。目立ちたくないし、城はやっぱり俺の性分には合わなかった。来年は、この宮殿から王宮に通勤するぜ。それはそうと、ずいぶんタロットと仲よくなったようだな」
「ええ。タロットが私の話をよく聞いてくれましたから」

「実はあいつ、自分の能力を表に出したがらないタイプの馬でね。本気で走れば相当速いのに、面倒くさがってふだんは全然その気を出さない。今日は違ったな。お前の指示をしっかり聞いていた」
「元気な馬を貸してくださいとは、頼みましたけど?」
「ちょっと意地悪してやった。元気だが、ひねくれ者のタロットを」
「ひどい」

「嘘だよ、嘘。ディアナ姫さんなら、タロットを乗りこなせるだろうという、根拠のない確信があった。なんでだろうな」

 妙な雰囲気だ。グリフィンは、ディアナのことを買い被っている。自分にはなんの能力も花開いていないのに。銀脈はおろか、天馬とも巡り合えていないのだ。

「王子、ディアナ姫さま。お食事のご用意ができました」

 従者に促され、ふたりは卓に着くことにした。

 王太子はすでに酔いが回っていて上機嫌。顔も真っ赤。帰りは、馬に乗れないだろう。

「発情期のサル。お尻じゃなくて、顔面真っ赤」

 ディアナの隣席に座ったキールが王太子をからかった。

「聞こえているぞ! 発情期だとっ。悪かったな、どうせ発情期だ。尻だって真っ赤だぜ。燃えまくりの燃えまくり」
「ほんとうですか、姉上さま。兄さん、尻赤いの?」
「まあ、ロベルトさまったら。キールさままで。おほほ。純情でかわいいディアナ姫が困っていますよ。ねえディアナさま?」

 酔った王太子を冷やかしながら、一同は愉快な食事ができた。ディアナもよく喋ったし、よく食べた。ルフォンに来てから、結婚破談の件でくよくよ悩んだのは一晩ぐらいだった。食べ物がおいしくて自分は太ったと思う。
 帰着は暗くなる前に、ということでのんびりとした昼餉を終えると、間もなく帰り支度を整えることになった。
 だが、王太子はさんざん騒いだ挙句に、酔って寝てしまい、従者によって馬車の中に運ばれた。
 ディアナはもちろんタロットに乗るつもりだが、キールに馬を見せてほしいと頼もうとした。キールの馬、アカツキは軍馬の厩舎に繋がれていないらしく、まだよく見ていないのだ。とりあえず出立前、キールに許可を得ようと宮殿を歩いてみた。

 回廊を過ぎ、裏庭に出た。
 こんな奥のほうに人がいるわけないか、と思ったとき、囁き声が聞こえてきた。
 ひとけのない場所で誰だろう、最初はただの興味だったが、目の前の光景にディアナは息が止まりそうになった。

「キール……と、王太子妃さ、ま?」