真っ白い馬が、死骸だらけの森をかける。
その上にまたがるのは若いモンスタースレイヤーだ。
バカラッバカラッと大きい音を立ててはいるが、湿気の多い森の中ではそれが響くことはなかった。
「ったく…馬鞍(うまぐら)がないとケツが痛いな…」
「ブルルルッ!(文句言わないでよ…こっちは乗せてやってんのにさ)」
「次の街ではまず馬鞍を買わなきゃ長旅はできんな…あとお前の服も」
「ブルッ!ブルルルッ!(まってよ!人間の姿の時は馬鞍なんて邪魔じゃん!)」
「お前が背負って歩け」
「ブルルルルッ!(労働環境の改善を要求します!)」
「黙って走れないのか!お前は!」
他人が聞けば…
真っ白い馬の声は聞こえない。
悪魔として使役しているモンスタースレイヤーだからこそ、会話が成り立つのである。
しばらく走っていると、月明かりに照らされた、開けた場所にでた。
周りは森だがそこだけ不自然に木が生えておらず、中心には大きな岩がある。
「いるな…」
ジェイスはこの場所に何かを感じて馬から降りた。
「…お前は馬の姿のままでいろ」
「ブルル…」
ジェイスの顔は徐々に緩みはじめた。
決して油断しているとか、そういうわけではない。
顔に力を入れることを忘れるほど…
意識を森の中に集中しているのだ。
草の音、風に乗った香り、その空間全てをジェイスはその研ぎ澄ました感覚で見る。
「いた」
ジェイスは森の中に気配を感じ取った。
音も立てず、素早く移動している。見事なものだ。
向こうもこちらに気づいている。
素早く足を動かしながらも、視線はずっとこちらに向けている。
「…」
ジェイスはスッと腰にさした剣を抜く。
そして身体の力を抜き、目をつぶった。
今度は耳へ意識を集中させていく。
「…」
ジェイスは意識を身体を切り離して…
まるで自然と溶け込むように森へ馴染ませた。
傍からみれば無防備も同然。隙だらけ。
手に持った剣の先は地面についているし、今にも落としそうなほど力も抜いている。
そして…
バッ!
後ろから襲いかかる『神狼様』の気配を感じ取り…
ジェイスは瞬時に意識と身体を繋ぎ合わせて剣を振るった。
「お”お”お”お”お”お”ッ!!!!」
低いうねり声をあげて、目をつぶったジェイスの前に何かが倒れる音がした。
ジェイスが目を開けると、そこには血がまみれになったそれが苦しんでいた。
その姿は…
顔は狼だが、上半身は毛むくじゃらの人間そのものであった。
肌は灰色だが胸から腹筋にかけてジェイスに付けられた剣傷が付いており…
流れる血も人間のそれと同じであった。
しかしここで、ジェイスはあることに気づく。
「…」
『神狼様』は…
とても小さかった。
『人狼』の呪いにかけられた人間は巨大化するものだが…
おそらく立ち上がってもジェイスより少し背が低いくらいだろう。
ジェイスは意外なその姿に一瞬躊躇したが、直ぐに持っていた布で『人狼』の目を隠し、ロープで身体を拘束した。
『人狼』は、身動きが全く取れなくなった。
「ウゥゥゥッ!はなせぇッ!」
小さな身体と裏腹にその声は低い。
痛みに苦しんでいるようだが、傷は一瞬で治り、血も止まった。
この治癒能力は『人狼』という呪いにかかった者に授けられる能力だ。
しかしこれは決して『人狼』にとってありがたい能力ではない。
地獄の空腹の中で苦しみ、自殺を図ろうとしても死ぬことができないのだ。
その苦しみは…
首をはねない限り、永遠に続くのである。
「アクシリオス…」
ジェイスは先刻、村長夫人に使った魔法を『神狼様』にかけた。
この魔法『アクシリオス』は精神を安定させるための魔法である。
相手の精神状態に強く依存しており、精神力が弱いと村長夫人のように気を失うこともある。
「悪魔を使役して魔法を使って…ジェイスはもうモンスタースレイヤーって言うより悪い魔術師だね」
「なんとでも言え」
魔法をかけられた『神狼様』はしばらく唸ったあと…
突然ぴたりと動きを止めた。
「『神狼様』だな…」
「なぜだ…空腹が…突然おさまった…」
「一時的なものだ…お前と話がしたくてな」
「…」
『神狼様』の息づかいは荒かったが…
こちらの話を聞けるほどの冷静さを持っているようだった。
ジェイスは目の前にいる神様に話を聞いてみることにする。
「なぜ近くに大きな村があるのに、お前は人間を食べない?」
ジェイズはまず、『人狼』にとって最もおかしなこの生態について問うた。
しかし帰って来たのはこれに対する答えではなかった。
「でていけ人間…このままでは…お前を食べてしまうぞ」
「…?人間の心配をするとは『人狼』らしくないな…まるで神様みたいだ」
ジェイスのこの言葉は嫌みであったが…
半分は本音も含まれていた。
「心配など…していない…自分自身のためだ…はぁ…はぁ」
『神狼様』はゆっくりと呼吸を整えるように言葉を繋いだ。
「お前自身のために人を食わない?…どういうことだ?」
「あと少しで…生贄の時期がくる…ハァ…ハァ」
「ダルケルノ村の生贄のことか?」
「そうだ…それまで人間を食べることを我慢すれば…呪いは解かれ…俺は人間に戻ることができるんだ…」
ジェイスは、その意外過ぎる返答に一瞬間があいた。
「…なんだと?」
「…そう言われたんだ…だから俺は…人間とあわないように…はぁ、はぁ…ここで1人…ずっと…」
「誰かに言われたのか?人間を食わずにいれば…呪いが解かれると」
「あぁ…ダルケルノ村の…村長だ…」
「…」
ジェイスとディページは目をあわせた。
「『神狼様』への生贄は50年つづいている風習だと聞いたが…」
「そうだ…俺は…昨年の生贄として…『神狼様』に捧げられた…」
「なんだと?」
「村長にここに連れてこられて…生贄として先代の『神狼様』に食べられた…」
「…」
「目が覚めると…はぁはぁ…俺が『神狼様』になっていた…」
ジェイスの顔が…
徐々に曇っていく。
ジェイスはゆっくりと…
正確に状況を掴みはじめていた。
「つまり一年間…人間を食べずに村を守れば…次の年の生贄の儀式で人間に戻れると言われた…そう言っているのか?」
「そうだ…」
「過去に生贄になった者が村へ戻ってきたことは…?」
「…」
『神狼様』は言葉を失った。
やはり…生贄が帰ってきたことはないようだ。
そんな不確定かつ真実味のない嘘を信じてしまうほど、彼は冷静さを欠いているのだとジェイスは思った。
「でも確かに…言ったんだ…村長は…」
「『人狼』が空腹に耐えることは…地獄の苦しみだと聞く…」
「あぁ…だが俺は…耐えた…」
「…」
ジェイスはこの時点で答えを導き出していた。
この物語の結末を。
そしてそれをこの『神狼様』に伝えることが…
とても辛かった。
「なるほどな…」
ジェイスは腰を落として…
『神狼様』に聞こえるよう、ゆっくりと語りだした。
ジェシカからの話し…
村長の話し…
そして目の前で横たわる神様の話を聞いて…
導き出した…全ての答えを。
「『神狼様』…これはただの『人狼』の呪いではない…」
「はぁはぁ…なんのことだ?」
「これは『渡り人狼(わたりじんろう)』の呪いだ」
「はぁはぁ…?」
「普通の『人狼』は…狼を殺した呪いとして狼の姿に変えさせられ、終わることのない空腹に苦しむ…」
「…はぁ…はぁ…」
「しかし『渡り人狼』には唯一その呪縛から解き放たれる方法がある…」
「…なんの…ことだ…」
「それは…人間を食わずにただ噛みついて、呪いをその者に移す方法だ…噛んだ方の呪いは解除され、噛まれた方は新たな『人狼』となる…呪いが人を渡っていく…だから『渡り人狼』と呼ばれている」
「…」
しかし…
この先はおそらく『神狼様』も知らない。
「しかし、ここでいう呪いの解除とは…人間に戻ることではない」
「…!?」
「目的を失い、考えることもできず、永遠に生命を漁る存在に生まれ変わるということだ」
「生命を…漁る存在…?」
「あぁ…すなわちグールにな」
「…」
「グールは、呪いや魔術によって抜けがらとなった動物や人間の姿だ…」
「…」
「苦しむこともなくなるが…なにも感じない存在に変わる…」
「う…そだ…」
『神狼様』につけた目隠しに…
ジワリジワリと涙がしみだしていく。
ジェイスは目をそらしたかったが…
それでもしっかりと彼に伝えようとした。
「お前は…人間に戻ることはできない」
「嘘だ…」
「…」
「嘘だッ!!!!!」
『神狼様』が身体を大きく動かそうとする。
「アクシリオス…」
ジェイスがもう一度魔法をかける。
『神狼様』は身体を震わせて…涙を流し続けた。
「じゃあ僕は…僕はなんのために…」
「…」
「何のためにこんなに苦しんだんだッ!」
「…」
「…母さん…」
「…」
「…」
「『神狼様』よ…もしお前がグールになりたくないのであれば…俺がここで殺してやってもいい」
「…はぁ…はぁ…」
「俺はお前が人間だったころの姿は知らない…しかし…せめて人間として殺してやるくらいなら、俺にもできる」
「…」
『神狼様』は黙り込んだ。
俺とディページはそれをただ見つめていた。
そして元人間であった神様は…
決断をした。
「殺してくれ」
「…」
「せめて…生まれ育ったこの地で…誰も恨むことなく…いや、誰かを恨む前に…」
「…」
「…」
「…わかった」
『神狼様』はゆっくりとうつ伏せになる。
「言い残すことは…?」
「…たくさん…ある」
「…」
「だがどれも…言うと心が折れてしまいそうだ…だから、このまま逝かせてくれ」
「…そうか」
「…」
「…」
「名も知らぬ剣士のお兄さん…」
「…?」
「ありがとう」
ジェイスはゆっくりと剣を振り上げた。
「お前の最後は…人狼でも、ましてや神様なんかでもなかった…ただひたすらに人間だったよ…せめて安らかに眠れ」
バシュッッ!
ジェイスは、うつ伏せになった『神狼様』の首を見事にはねた。
『神狼様』の呪いは解け、徐々に身体が人間に戻っていく。
戻ったその姿は、まだ10代前半の少年のようだった。
『神狼様』の呪いは、もうこれで人を渡ることは無くなった。
この少年は、50年にも及ぶ村の呪いを1人で請け負ったのだ。
「ディページ…」
「ん?」
「穴を掘る…手伝え…」
「お墓?」
「あぁ…グールに掘り起こされないように…深いやつをな」
「はいはい…けど、どーすんのこれから…」
「村長のところへに戻る…そして全てを問い詰める…この村にかかった呪いは『渡り人狼』だけではない」