イランゼさんは室内に入って来ると、また魔質をグルグル動かし始めた。

ジークは何かあった場合、自力で何とかするだろうと踏んで…お義兄様とお義父様の周りに魔物理防御障壁を張った。実は今、自身の魔力放出が不安定になっているのだ。使えるうちに魔術を使っておきたい。

こんな時に…お腹の子よ。頑張って~と言うのもおかしいか。

お義父様達に張っている障壁は暗黒魔法をも弾けるような、それこそ国王陛下にかけさせて頂いているような超強固なものだ。

お義兄様が障壁に気がついて、私を見た。少し頷いて見せるとお義兄様は少しニヤリとした。

「シャンテはどうした?」

お義父様がイランゼさんに聞くとイランゼさんは静かに

「ラナファーレ様とミールレイ様の寝かし付けをされています」

と言った。

いやだからさ、普通は女主人が孫といるのならば奥様の側付きはまさに側に控えてなきゃいけないのよ。単独でウロウロしないものなのよ。

「お前1人で来たのかい…」

お義兄様から呆れたような声が漏れた。お義兄様は溜め息をついてから呼び鈴を押した。

お義兄様はお義母様が来るまでお茶を飲もうとした…のだが、イランゼさんはここでもまた自由だった。お茶の準備を持って来た侍女に近づくと、お茶に何か呪術をかけようとしているようだ。

もう黙っていられない、私は反撃の狼煙を上げることにした。

「いい加減になさいませ、イランゼ」

イランゼさんはぎょっとしたように私を見た。私はジークと目で合図を交わしてから、イランゼさんを睨み付けた。

「そのティーカップ、そのまま魔術師団に提出して鑑定して頂いても構いませんのよ?」

イランゼさんはガチャン…と音を立てて茶器を配膳台に戻した。

「私は魔術師だと申したはずです。素人のあなたの呪術などは効きはしませんよ。あなたが今まで追い出してきた同僚の使用人のようにはね」

イランゼさんは目を剥いて私を見た後に何故だかジークを見て叫んだ。

「ジークレイ様…こんな濡れ衣酷いですっ!私っ何もしておりませんのよ!」

な…泣き落しかな?を始めて、あろうことかそのままジークに駆け寄ろうとした。

「辞めた使用人から話を聞き出せた。観念しろ、イランゼ」

突然

サザーレイお義兄様が声を響かせた。駆け寄ろうとしたイランゼさんも足を止めていた。

「この8年間で辞めた使用人を捜して、現状と当時の様子を聞き出し、医術医に診察をさせて裏付けを取り、治療を施した。時間がかかったが何とか全員を無事に保護出来た」

サザーレイお義兄様はイランゼさんに不敵に笑いかけた。

「お前に何をされたか、どんな酷い扱いをされていたか全て話してくれた。医術医の治療見解はこうだ。『全て同じ術者による呪術を受けての体調不良だと断定できます。犯人と思しき術者の魔力を視ればすぐに分かります』私は証拠を揃え、公所と警邏にいつでも報告出来る準備をしている」

イランゼさんは泣き濡れた顔をお義兄様に向けたまま固まっている。

「兄上、すまん」

「なあに、お前よりは自由の利く身だ。人捜しは時間がかかって報告が遅れた、すまんな。父上、これがご相談を受けて私が調査した結果です」

お義兄様はお義父様に報告書かな?の束を渡した。お義父様は受け取り読んでいる。

「イランゼ、どうしてこんなことをした。それにジークレイからも相談を受けている。何故必要以上にジークレイに付きまとう?軍の独身寮まで押しかけていたそうだな?」

お義兄様の問いかけにイランゼさんは茫然としたまま

「だって…ジークレイ様のお世話は私が…ジークレイ様だって私の方が…」

「お前は母上付きのメイドだ。ジークレイの専属になったつもりか?それに、ジークレイ本人から世話はいい…と断られていても追いかけていたそうだな。これも辞めさせられた使用人ホロンナから報告を受けている」

イランゼさんは我に返ったのか、サザーレイお義兄様を睨みつけた。

「そいつらが私を陥れようと嘘をついているのです!私は誠心誠意ジークレイ様にお仕えています。私の想いは崇高なのです。誰にも邪魔はさせません!」

室内は静まり返っていた。

イランゼさんはジークレイに仕えていると言ってはいるが、ホイッスガンデ家の使用人だ。個人契約でもない。どういう思い込みでこうなっているのだろうか…

「イランゼさんは…お勤め先はどこですか?」

突然、お茶の給仕に来ていたメイドの女の子…マーサと言ったか辞めてしまったメイドと仲の良かったと…話していた彼女が声を震わせてイランゼさんに問うた。

「なんですって…?」

イランゼさんは低い声でマーサを睨んだ。マーサに何かされては危ない。私はすぐに立ち上がるとマーサを庇うように前に立った。後ろ手にマーサの肩を叩くとマーサが震える声で

「若奥様…ありがとうございます」

とお礼を言ってくれた。マーサの代わりに私が聞いてあげた。

「あなたはホイッスガンデ家に雇われた使用人ではないの?何に誇りを持ってお勤めに出ておられるの?」

「あんたは関係ないでしょう!?私はジークレイ様と…」

「イランゼ…」

お義母様が扉を開けて入って来ていた。青ざめた顔でイランゼさんを見ている。イランゼさんは笑顔になるとお義母様の側に駆け寄った。

「さあ、仰って下さいな。シャンテ様。私にジークレイ様を頼むと仰いましたよね?あんな女よりも私の方が頼りになると…以前仰いましたよね?」

お義母様はポカンとしている。

「イランゼ?何の話なの?」

イランゼさんはお義母様に縋り付いた。

「あの女が屋敷に押しかけてきた時に、『イランゼ、ジークレイのこと頼んだわよ』って…だから私ジークレイ様のことを一番に考えて来たのですよ!」

お義母様は益々困惑したような顔をしている。

「え?そんな言葉なんて特別でもなく…それこそ、普段から言っていて…」

「そうだ、シャンテもそうだが、私だってメイドに頼んだよ…と言っている。それこそ常日頃からだ。イランゼ…どうしてその言葉を特別だと感じたんだ」

お義父様の言葉にイランゼさんは怪訝そうな顔でお義母様の顔を見た。

「今までそんなこと…私は言われたことが無くて、頼んだなんて言われたのは初めてで…」

驚愕だった。そうか…イランゼさんは誰からも頼みます…と言われたことが無いのだ。誰からも頼りにされたことがなかったのだ。

イランゼさんの今までの生活環境を思い返していた。子供の頃からシャンテお母様のメイド。遊び相手で特別にメイドの仕事をしなくてもただ毎日シャンテお義母様の側にいればいい環境だとしたら…?そのまま特別待遇でメイドの教育を受けなかったとしたら?

そして特に責任のある仕事を任されることが無く、大人になり、そのまま自動的にホイッスガンデ家に嫁いだお義母様と一緒にメイド長として責任者になってしまった。何も出来ないままに…

誰からも指示されることなく、頼まれることなく…年を取る…

「マーサ」

お義父様が私の後ろにいたマーサに声をかけた。マーサは飛び上がっている。

「はっはい…!」

「イランゼは普段はメイドの仕事をどのようにしていたのだ?」

マーサの顔を顧みると、非常に顔色が悪かったが、私と目が合うと頷いてくれた。

「私もこちらに勤めだした時はイランゼさんにご相談したりお聞きしようとしていたのですが…私は分からないからホロンナに聞いて…と言われてばかりで、結局、使用人の間ではお飾りメイド長という認識でした。実質メイド長の仕事をしていたのはホロンナさんでした。ホロンナさんが辞められた後は3か月前までいらしたナーバンさんが引き継いでいらっしゃいました」

「シャンテ」

「!」

お義父様がお義母様に声をかけられた。

「もう分かっただろう?君が子供の頃からイランゼと姉妹のように過ごしていたのは知っている。だが、イランゼは使用人だ。使用人としての振る舞いを主人であるお前が教えなかったのもいけないし、イランゼも自分が使用人だと自覚し…その技術を会得しようとしなかったのもいけなかった」

お義父様がそう淡々と告げられた。

「イランゼ、主人から頼まれた時はその会話の端々から状況を読み取らなければならない。ジークレイを頼んだ。その言葉の真意は何だと君は思ったのだ。」

イランゼさんは顔を歪めた。もうそれは怒っているのか泣いているのか分からないような複雑な顔をしていた。

「あの女より私に任せたと…っ私の方がはるかに良いのだとっ…!だって私ジークレイ様のことが…その当時からずっとずっとお慕いして…」

「やめてっ!」

「!」

お義母様が耳を押さえて絶叫された。ジークレイが慌ててお義母様を支えている。

「だってぇあの女が屋敷に押しかけて来た時に言っていたものっ…あんたもジークレイの危うさに魅力を感じないか?って…あの少年と青年の狭間の背徳的な美しさに魅力を感じないか?って…そんなの前から知っている!ジークレイ様の魅力は私の方が知っている!私にはシャンテ様に託されたジークレイ様がいる…私にはジークレイ様が…」

ちょっと眩暈がした。マーサが慌てて私を支えてくれた。イランゼの言い分は勝手なものだ。お義母様に言われたから?ラヴィア様より自分の方が好き?

そうじゃないだろう?そんなことでジークレイの気持ちを無視して追いかけ回す言い訳にはならない。

「あなた先ほどから聞いていれば、おかしなことばかりおっしゃいますね」

私はピタリとイランゼさんを睨みつけながらゆっくりと言葉を繋いだ。

「お義母様に頼まれたからジークレイにつきまといをしたのですか?ラヴィア様に魅力的だと思わないかと言われたから対抗しようしたのですか?違うでしょう?あなた最初からジークレイの事が好きだったのでしょう?好きで好きで年甲斐もなく縋り付きたくて追いかけて、邪魔する者を排除して悦に入って…自分がジークレイの一番の理解者だと自分でも愛していれば報われると思っていたのでしょう?」

私は気が付いた。そうかもしかして…

「ラヴィア様という年上の彼女がジークレイに出来た時にあなたは気が付いたのね?ジークレイは年上でも身分違いでも愛してくれる…と?」

皆がハッとしたように固まった。

そうか…ジークレイがラヴィア様に引っ掛かってしまった時にイランゼさんは別の事を考えてしまったんだ。

「そうか…ジークに愛される自信が湧いてしまったのか…」

サザーレイお義兄様が呟いた。

「あんな、あばずれでもジークは恋人として扱っている。だとしたら自分ならもっともっと大切にしてくれるのではないか?ジークは年上でも身分が低くても気にしない。まさに自分にもっとも相応しい王子様なのだ…こんな風に思ったのでは?」

イランゼさんは顔を手で覆った。正解なのだろうか?

「ここでイランゼさんに残念なお知らせがあります。ジークレイは結婚相手に若さと容姿と教養を重要視していたという事実があります。私はこのお馬鹿ジークが仕事中に惚気て『結婚相手は若くて可愛くて頭の良い令嬢がいいなぁ~』とかぬかしていたことを知っています。実際、ラヴィア様に向かってこうも言っています。結婚相手は親が薦める相手とする…と。それがたまたま私だったという訳です」

「何気にミルフィーナの言葉にジークレイに対する棘があるな。ジークレイ、お前仕事中にそんな馬鹿な私語をしていたのか?嘆かわしいな…」

サザーレイお義兄様の呟きは、まるっと無視をする。

「フィー!?本当に棘があるぞぉ!あ、あれはだな…えっと自分の理想の令嬢の話をしているフリしながら…ミルフィーナの事言ってたんだ!」

「はぁ?本人の前で私が理想だとぬかしていたのですか?」

きゃっ!みたいな仕草でジークは頬を染めて身をくねらせた。

「そんな!?」

「キモッ!」

奇しくも、イランゼさんの悲痛な叫びと私の罵声?の声が重なった。