これでようやく、元の世界に戻ることができる。篠宮先生との間に起こったこれまでのことは、幻の出来事だったのだ。
ふぅと一息つき、ホッと胸を撫で下ろす。見知った自分のテリトリーに帰ってきたことで、緊張感が一気にほぐれた。
早く車から降りてしまいたい。
もっといえば早くひとりになりたい。
自分の部屋で羽を伸ばしてのんびりしたい。明日は休みだから、本来なら家でまったりビールを飲んで気ままに過ごすつもりだった。
帰ったらすぐにお風呂に入って飲み直そう。
流れる景色を目で追っていると、数メートル先の自動販売機の前に佇む黒い人影が見えた。
スラリとした長身のスーツ姿の男性のシルエットには、どことなく見覚えがある。
ドクッと鼓動が跳ねて心臓が止まりそうになったのは、すごく嫌な予感がしたからだ。
路肩に寄せると音もなく滑るようにして車が止まった。車のライトに目を細めた男性がこちらを向いて、はっきりと顔が見える。
その瞬間、思わず息が止まりかけた。
顔を見られたくなくてとっさに下を向き、両手を堅く握り締める。
いったい、今さらなんの用があるというのだろう。
そもそも私に会いにきたのかさえもわからないのだけれど、動揺してしまい、気が気じゃない。