男はスーの身の上を淡々と話し始めた。
「スーの自分の親族からも周りの誰からも、酷い扱いを受けていました。」
酷い扱い?
「スーは自分の父親と再婚した義理の母親と、その連れ子の妹との4人暮らしでした。
スーの家は代々巫女の家系で、父親は数少ない純粋な呪術師の家系。
スーの亡くなった母親と父親が結ばれる事は皆の必然でした。
その間に産まれたスーは、今までにないほどの巫女の血を色濃く宿して産まれました。

祝福されて産まれてはきました。
でもみんなが欲しかったのはスー自身ではありませんでした。
その濃い血だけが、みんなが望むもの。
考えてみれば、顔合わせで龍王の下にいたあの1年ほどの時間。
あれがスーにとっては、一番幸せな時間だったのかもしれません。
人間界に戻ってきたスーを巡っての争いは、後を絶ちませんでした。
そんな中、スーを助け出そうとして母が亡くなったのです。」

龍は肉親が亡くなった時でさえ、気持ちを動かす事はない。
無関心で孤独で残酷な種族である。
だが人間は反対に感情豊かな生き物。
さぞ翡翠は心を痛めただろう。
それも自分のせいで亡くなったともなれば、なおさらだ。

「それから父親はスーに辛くあたる様になりました。
お前のせいで亡くなったのだと。
お前がいなければ、お前が産まれてこなければこんな事にはならなかったと。
まだ小さかったスーを責めました。
生きている事さえも否定されてしまったのです。
それからは前にも増して、違う者から狙われ奪われました。
そして何度も何度も、たくさんの龍や人の間を行ききしていたようです。」
翡翠も私同様、周りから自分自身を必要とされてこなかったのだな。
死なないように生かせれる。
そんな中にスーもただ存在していた。

ここ青龍の国は格式や身分を重んじる国。
私は幼き頃から、この国の歴史、学問、事細かに分かれた身分制度の仕組み。
そんな形式ばかりを覚え込まされて育った。
それをまた不満に思った事もなかった。
これが自分にする事。
やるべき事と教え込まれてきたのだから。
疑うことさえ知らなかったある日。
一人の人間の少女に出会う。

この青い龍の国には特別に大きな役割があった。
それは人間界と龍の国にまたがり、秩序を守るという仕事。
私はいつもの様に人間界の有力者の取り締まりをしていた。
そしてある事件で現場を抑える為に踏み込んだ先。
地下の牢で囚われの少女を見つけて保護した。
薄汚れて全身傷だらけの少女。
それがスーだった。
私はその少女と目を合わせた瞬間。
身体が今までに感じた事のない、熱を感じた。
そしてとっさに手を握っていた。
か弱きその人間の中にある、どんな者にも屈しない強さ。
その熱が私に伝染したかの様だった。
療養の為、病院に入院する事になった少女。
少女の事が気になって仕方がなかった。
だから仕事の合間の僅かな時間の全てをその少女と過ごした。

自分の存在の否定。
どこまでも追い詰められてしまった翡翠。
「初めてスーに会った時、抜け殻の様な姿でした。
それでも生きる為に生きようとしている瞳。
懸命に自分の運命に抗おうとする姿に魅了されました。

傷だらけの少女は、始めは警戒して言葉少なでした。
しかし慣れるに連れて、自分の事も少しずつ話してくれるようになりました。
感情を表してくれるようになったある日。
調べ上げられたその少女の悲惨過ぎる身の上。
感情というものがなかった私にも、変化が現れ始めました。
少女が笑えば自分の心は、ほんのりと暖かくなった。
少女が悲しそうに涙を浮かべれば、自分の心は苦しく痛く感じた。
ほんの一月、傷が癒えるまで一緒に過ごしました。
日に日に元気になっていくスー。
次第に本来の魅力を取り戻していきました。
最初は人間というだけで、毛嫌いしていた龍たち。
それがいつしかスーの笑顔に癒され、優しさに心穏やかにしました。

伝統や格式にがんじがらめの日々。
スーに会って、スーと話し、接する時間。
私にも心地よい安らぎを与えてくれました。
私に人間の様な優しい感情を教えてくれました。
いつしか私はスーに好意をもち始めていました。
・・・この少女と出来るならずっと一緒にいたい・・・
いつしか私はスーを自分の巫女にと考えるようになっていきました。

そして傷もすっかり治ったある日。
スーは父の呼び出しに促されて、家へ帰る事を告げられました。
自分が帰らないと家族が龍族に何をされるか分からないからと。
次に行く場所は何処なのか?
それさえもはっきりしないまま、一旦家族の下に戻される事になったのです。
スーの存在が人間たちだけでなく、龍族同士の間にまで広がった争奪戦。
自分一人の思いだけで、この国を争いに巻き込む訳にはいかなかった。
だからあの時大きな力を持つ龍族と、事を荒立てる事は出来なかった。
秩序を守るといいながら、結局は力ある者には従うしかなかった。
結局私はスーに何もしてあげれなかった。

そしてその想いも告げる事も出来なかった。
短い間だったが私に感情という、大事な物を心地よさを教えてくれた。
いつしか私にとってかけがえのない存在となっていた。
しかし現実はその大切な存在さえ守れない自分。
怒るという感情。
その熱すぎる感情。
これもスーが教えてくれた初めての感情だった。

あの時は本当に悔しかった。
私にもっと力があればと。
どんなに悔やんだ事か。 
蒼龍はぐっと唇に力を入れた。

蒼龍も私と同じ思いをしたのだな。
力がものを言う龍族の世界。
蒼龍にとっても覆せない力の足りなさ。
自分の弱さを悔いたのだろう。
大切な者を守れない自分の愚かさに悔いたのだろう。

「家へ帰る前日。
ここで暮らす最後の日。
別れの挨拶に来たスーは、心の奥底にずっと大切にしまっている思い。
生きる為の理由を教えてくれました。
これまでどんな事をされても、生きたいと思った理由。
それはあなたとの約束でした。
龍王が迎えに来てくれる事を。
その日の為に生きているのだと教えてくれました。
泣きながら、笑いながらスーは本当の気持ちを話してくれました。
巫女の血に翻弄されるスーが唯一見つけた希望。
それがあなたとの約束だったのです。
そしてこの場所を去った数日後。
スーの次の行き先が龍王の所だと報告を受けました。
龍族たちは、スーをあなたとの交渉の駒に使ったのです。
私はその時どんなに安心したか。
やっとスーに幸せが訪れたんだと思い喜びました。
スーが笑ってくれるなら、それでいいと。」

突然蒼龍の言葉が静かになる。
そして今まで我慢していた、先ほど抑え込んだ怒りが息を吹き返す。
「なのになぜ?
約束が叶ったのに、なぜ?
あなたの下に帰る事ができたのに。
どうして笑っていないんですか!!
スーの目はなぜあの時の様に、何も映さないでいるんですか!!
なぜ幸せになっていないんだ!!!!」

長い話しの最後。
蒼龍は私に怒りを想いのたけをぶつけてきた。
真剣に向き合うからこその言葉。
久しぶりに私を前にして、ぶつかってくる蒼龍を見た。
そしていつもなら込み上げる怒りの感情。
しかし今は、なぜか嬉しさを感じた。
孤独なこんな場所でも、翡翠には1人でも味方がいてくれた事。
それが嬉しかった。
龍王である私に真っ向から意見をしてくる蒼龍の姿。
他の者なら私の声を聞いただけで、震えあがって声さえも出せなくなる筈だ。
とても意見する事などありえない。
しかしそれを跳ね除ける、翡翠への真剣で真っ直ぐな気持ち。
辺りの空気を震わす程に伝わってくる強い怒り。

そして・・・。
何よりも。
スーが私との約束をずっと忘れずにいてくれていた事。
待っていてくれていた事に嬉しさを隠し切れなかった。
少なからずも翡翠は私に好意を持ってくれていた。
それが、私が求める気持ちなのかはまだ分からないが。
私の存在が翡翠の想いの深い所にある事が分かって嬉しかった。

怒りを露わにしても動じない私を見た蒼龍。
はっと急に気が付いた様に頭を下げた。
言い過ぎたと思ったのだろう。
怒りで我を忘れた事を後悔しているようだ。
蒼龍の真っ直ぐ気持ちは理解した。
しかしそれを認めるかは別の話しだ。
「スーは私の者だ。」
地を這うような低い声。
一声で頭を上げる事さえ出来ない。
反論を許さない力を見せつける。
その言葉の意味するもの。
ニ人の間に誰も立ち入る事を許さない。
断固とした意志が伝わってくる。

やっと取り戻したスー。
この為に、他の龍たちに力を誇示してきた。
力がものをいう世界。
だからこそ力で抵抗する考えさえも失くすほどの圧倒的な力。
私はそれを欲した。
誰もが恐怖で近づかず、孤独になってもその想いは変わらなかった。

肌が触れる感触。
自分の下にいる事を感じた。
腕の中に確かな温もりがある。
翡翠が自分の下にいる事に心から安堵する。
・・・誰にも渡しはしない。
・・・翡翠は永遠に私のものだ。
私は蒼龍に見せつけるように、額に一つ口付けをする。
これは独占欲と牽制。
私の者だという事実を認めさせる為の行動。
一言も発する事も身動ぐ事も出来ない状況。
力の差を見せ付ける。