バン!!!
私は勢いこんで翡翠の眠っている部屋に飛びこんだ。
そこで見た物は、衝撃的な状況。
それは白龍が眠ったままの翡翠の首を、締め上げようとしている姿だった。
「この女さえいなければ、龍王さまは私の物になる。
お前なんか、消えて無くなればいい!!!!!」
叫びなのか、悲鳴なのか分からない甲高い声が部屋に響きわたる。
綺麗だった白龍の顔は醜く歪んでいた。
嫉妬で壊れた白龍のおぞましき姿。
白龍は翡翠の命の灯を消そうとしていた。
あの気品に満ちた、余裕に満ち溢れた笑顔は何処にもない。
あるのは気持ちの悪い笑みを浮かべ、髪をふり乱した女の姿だった。

「どけ!!!」
私はすぐに白龍を翡翠から払い退ける。
後ろの壁に白龍の身体が激突する大きな音が響く。
それに続いて沢山の足音が聞こえてきた。
私はそんな事はには気にも止めず翡翠に近づく。
すぐさま胸に耳を当てる。
すると小さな鼓動が聞こえてきた。
「良かった。」
そしてそのまま抱え上げ腕の中に包み込む。
安心という暖かさ。
そうだ、この感触。
翡翠の匂い。
久しぶりの翡翠の感触に身体が震えるほど喜びが走る。
翡翠の存在を肌で感じて安心する。
もう絶対に離しはしない。
このまま閉じ込めてしまいたい。
そうだ、そうすればよかった。
ずっと私の中に置いておけばよかったんだ。
そうすれば不安にさせる事もなく、私も白龍の事で我慢する事もなかった。
愛おし気に熱い眼差しで、翡翠の髪をすく。
満たされていく心。
やはり翡翠だけが私の全てを満たしてくれる。
存在そのものが私の生きる意味。

「白龍、何か勘違いしているようだから最後に言っておく。
私がお前を側に置いたのは、お前を監視していただけだ。
嫉妬深いお前が、翡翠に危害を与えさせない為にな。」
「私を愛してはいなかったの?」
「ふっ。
よくもぬけぬけと、そんな事を言えたものだ。
お前は私の龍王としての地位と権力が欲しいだけなんだろ?」
「そんな事はないわ!!!」
髪を振り乱し強く否定する白龍。
「お前は余程好きものとみえる。
お前が連れてきたお付きの者を、毎日のように部屋に連れこんでいる事。
知らないとでも思っていたのか。」
「それは・・・!」
事実を突きつけられて押し黙る。
「私も見くびられたものだ。」
「でも、でも・・・私を抱いてくださった。
それは私が好きなのではないの?」

龍王の目が冷ややか光る。
冷酷なまでに辺りを凍らせる気迫。
反する気持ちさえも一瞬にして消滅させる。
これが本当の龍王の力。
辺りの時間さえ静止したかのようだ。
重い静けさの中、龍王が白龍に最後の言葉を告げる。
「お前を抱いたのは、スーへの嫉妬心からだ。
身体が本能のまま動いただけだ。
しかし心までお前に渡したつもりはない。
私の心が動くのはスーの事だけだ。」
そう言うと、すぐに翡翠に視線を戻す。
「さっさとこいつを私の視界から消せ!
目障りだ!!
連れて行け!!」
白龍と話す気がそれた龍王は、近くの警備兵に命令する。

「なぜ!!
私ではないの?
こんな人間を選ぶの!!!!」
白龍が狂った様に叫ぶ始める。
近くで事の成り行きを見守っていた、貴族と警備兵に拘束された白龍。
「私は白龍なのよ。
私がなぜこんな目に合わなければならないの!!
連れていくなら、あの人間を連れて行きなさいよ!!
私は・・・!!!!」
激しく抵抗する白龍の断末魔の様な声。
そのまま部屋の外へ連れ出されて行った。

静まり返った部屋。
冷たい凍える気迫は翡翠の存在によって溶かされた。
そしてうって変わって、優しい雰囲気が辺りを包む。
私の腕の中で弱弱しく眠る翡翠。
小さな胸が微かに上下する。
それは翡翠が生きている証。
「目を覚まして翡翠。
お前を信じきれなかった私に謝らせてくれないのか?
もう私の事が嫌いになったのか?
お願いだ。
目を開けてくれ。」
泣いている様な擦れた声で話かける龍王。
今まで見たこともないほどに、それは小さく見えた。

するとそれに反応したように、翡翠の手が微かに動いた。
そしてしばらくすると、ゆっくりと瞳が開いた。
翡翠の瞳に私が映し出される。
「翡翠!」
思わず抱きしめる私。
しかし戸惑う表情の翡翠。
「龍王?
なぜここに?
私といると白龍が悲しむよ。」
「そんな事は言わないで!
今その名前を出さないでくれないか。
今は翡翠の事だけで私をいっぱいにしたい。
翡翠の事だけで満たされたい。」
強く抱きしめられた身体。

正直な身体は欲していた龍王に触れて、我慢していた想いが爆発した。
抱きしめ返す翡翠。
この上なく優しいこの匂い。
絶対なる安心感。
欲しかった龍王の温もり。
心より望んだもの全てが龍王へと繋がる。
たまらなく心地よい場所。
やっぱりここが一番好き。
「すまなかった。
翡翠に酷い事を言った。
恐怖を与えてしまった。
不安にさせてしまった。」
私を抱きしめたまま謝る龍王。

龍王の心が離れてしまった訳ではなかったんだ。
でも何故?
「寂しかったの、怖かったの。」
思わず私も素直な気持ちが言葉が溢れだす。
「白龍の私への執着心から、翡翠に危害が及ばないように監視してたんだ。
その結果翡翠には誤解と寂しい思いをさせてしまった。
こんな事ならずっと翡翠を側に置いとけばよかった。
最初にここに来た時みたいに、膝の上置いて全てから隠しておけばよかったんだ。」
龍王は翡翠の自由を奪う事をしなかった。
それは窮屈な想いを押し付けたくなかったから。
独りよがりの気持ちだけで、屈託ない笑顔を消したくなかったから。
龍王は翡翠の純粋な優しさを壊したくなかった。
流れ出る涙に今度は私が口づける。

「酷い事をした私をもう嫌いになった?」
すぐに首を横に振る翡翠。
「何があっても嫌いになる筈ないよ。」
「よかった。
これから先も翡翠だけだから。
もともと龍王と言う地位はお前を取り戻す為に手に入れたかった物だ。
今あるこの力はお前を私だけの者だと、他の者に知らしめる為の物だ。
私は今までにお前の事以外で自ら動いた事はない。
そしてこれから先も翡翠しか望まない。」
最大級の愛の告白。
顔を赤らめながらも笑った翡翠の笑顔。
それは心からの笑顔をだった。
私が魅了して止まない笑顔。
とっておきの笑顔がそこにあった。

しかしその笑顔もすぐに曇り、雨に変わる。
「私ね。
もうすぐ消えてしまうの。」
そう言った途端流れだす涙。
不安で仕方なかっただろう。
ずっと一人で耐えていたんだ。
迫りくる死への恐怖。
そして白龍の事で寂しい思いをさせてしまった。
眠る事で自分を守っていたんだ。
さぞかし辛い夢を見ていただろう。
そこまで私が追い詰めてしまった。
なぜ私はもっと早く来てあげられなかったんだろう。
私の狭き心が醜い嫉妬が、翡翠をこんなに孤独にしていたなんて。
悔やんでも悔やみきれない。
そしてもうすぐ、翡翠と別れの日がやってくる。
離れていた時間が悔やまれる。

何か方法はないのか?
この身が引きちぎられる思いだ。
翡翠がいなくなるなんて、自分が消えて無くなるのと同じだ。
「この術は父の血を使ってかけられたものだから、解くのも父の血が必要なの。
それに父はもうこの世にはいないかもしれない。
龍王を足止めした時に使った術。
あれは寿命を引き換えに使う術。
そして私のこの術もそれと同じにかけられた。
どちらにしろ、もう長くはないかもしれない。
もう一度父に優しくしてほしかった。
母がいた時みたいに、笑いかけてほしかった。」
そう言うとまた涙が溢れだす。
そこまでされてもまだ父親の事を気にかける翡翠。
なんて心優しき魂の持ち主だろう。
私にはない、感情の豊かさ。
温かいと感じるこの感触。
心地よい感触。
だからこそ、私は翡翠を大切に想う。
愛おしく想う。
その想いの全てを自分だけに向けてほしい。
龍王の底知れぬ欲望と本能。

それからの龍王は、ここに来た当初のように片時も翡翠を離そうとはしなかった。
王としての責務で仕事をしている時さえも、膝の上に大事そうに抱いていた。
その龍王の翡翠に向ける、どこまでも優しい笑顔。
そしてそれに応える龍王に向ける笑顔。
次第にニ人を批判をする者がいなくなっていった。
貴族や周りの人たちにみせる優しい気遣いと言動、仕草。
誰もがなぜか、それを見ているだけで心が温かくなる気がした。
自分たちにない感情という代物。
今までに感じたことも、考えた事もなかったこのなんとも言い難い思い?
この心地よきものは人の持っている感情という物なのか?
感情豊かな翡翠の表情、声や仕草。
翡翠の存在そのものが、そこにいる事だけで受け入れられていった。

最初に変化があったのは足。
足が動かなくなった。
自分で歩く事が出来なくなってしまった。
「これで、私から一生逃げられなくなったな。」
と嬉しそうに言ってこれまで以上に私を束縛した。
そして次は手。腕。
物を持つ事さえも、そして自分から抱きしめる事さえ出来なくなってしまった。
「これで、私の好きな時に好きなだけ思いのまま翡翠を抱き締められる。」
と嬉しそうにいつも以上に力強く抱きしめてくれた。
どれも自分を安心させる為の言葉。
それが私にとってどれだけ救われただろうか。
私の死へと向かう足音を龍王は、強い束縛で払い退けてくれた。

次々に身体の機能を失っていく翡翠。
それでも龍王はいつも翡翠を気遣い、優しく世話をしていく。

紅龍と蒼龍はそんな仲睦まじい2人を見守りながら、この先の終わりのある未来を思う。
スーのあの笑顔が、もうすぐ見れなくなってしまう現実。
その時の悲しみははかりしれない。
それぞれのスーへと向かう熱い気持ち。
とどまる事のないこの思い。

いつもの夕食。
たくさんの人と一緒に楽しく食事をしたいと言う翡翠。
その願いを龍王は聞き入れた。
紅龍と蒼龍も同じ食卓についていた。
何気ない会話。
翡翠の笑う声と笑顔が雰囲気を和ませる。
「蒼龍も紅龍も私の我儘を聞き入れてくれてありがとう。」
スーは俺たちを気遣って優しい言葉をくれた。
「いや、こっちこそ楽しい思いをさせてもらっているのはこっちの方だから。」
と蒼龍は嬉しそうに答えた。
「そうそう、俺はスーといられる時間が増えて嬉しいばかりだ。」
紅龍も少し不器用な笑顔で返してくれた。
ニ人の答えに急に不機嫌になる龍王。
手の動かなくなったスーの口許に、少し強引に食べ物を持っていく。
嫉妬心剥き出しの態度に蒼龍と紅龍は顔を見合わせて笑った。
スーの周りのは優しさと笑顔が満ちていた。
「おいしいね。」
と微笑むスーはとても幸せそうに笑っていた。
スーの笑顔一つで嫉妬で、機嫌の悪くなった筈の気分が吹き飛んでいく。
いつまでもただこうやって過ごしていきたい。
翡翠のこの小さな願いさえも敵わない未来。

その数日後。
今度は視力を失った。
目の見えなくなったスーは今までになく怖がり震えていた。
その不安を取り除こうと龍王は、いつもスーを膝の上に乗せ抱きしめる。
スーは龍王の身体に甘えるように身を委ねた。

そんなニ人を哀しい顔で見つめる。
「どうにかならないのか?!!」
日に日に力を失っていくスーを見てられない。」
紅龍の悲痛な叫びが響く。
その声を聞いて蒼龍が決心をしたように話す。
「私は黒龍に会いに行こうと思う。」
落ちついた口調。
深い思いを乗せた蒼龍の重い言葉。
その言葉と雰囲気に紅龍の熱くなった心も次第に落ち着いていく。
「黒龍?
そうか黒龍か。
確かに黒龍なら何かいい方法がみつかるかも知れないが・・・」
「何が起こるか予想出来ない。
もしかしたら、もうここに帰って来れないかも知れない。
もしかしたら、もうスーに会えなくなるかも知れない。」
自分に問いかけているのか?
俺に問いかけているの分からない蒼龍の言葉。
しかしその言葉一つ一つに強い意志が感じられた。
「それでも行くんだろう?」
蒼龍の瞳が光を放ち、これから先の行動を指し示す。

スーの笑顔の為、スーの未来の為。
自分を差し置いてでも、自分と引き換えにしても救いたい者。
スーはそれほどの存在。
ふと随分と人間らしくなったものだと思う。
人の事でこんなに気持ちを揺らした事など、今までなかった。
戦いこそが戦いの中こそが俺の強さを求める場所だった。
力の強さだけが俺の心を揺さぶる物。
追い求める理想の強さ。
純粋なる究極の強さへの憧れ。
しかしスーの会ってからそれは根底から覆された。
考えたこともなかった世界観。
認識の相違。
産まれて初めての感動。
産まれて初めての感情。
全く違う強さという形。
今まで人間という生き物さえ、見た事のなかった俺。
ひ弱で貧弱な身体の人間。
しかしその小さき中に宿る強い感情。
それを見た時、今までの自分の考えが間違っている事に気付かされた。
スーを助けたい。
俺に本当の強さを教えてくれた。
俺に感情を色々な思いを思う事の意味を教えてくれた。
どうしても失いたくない。

黒龍。
今の龍の中で一番高齢な龍。
闇の中に存在するらしい。
生と死を司ざるもの冥王とも言われている。
ただ今だかつて本当の姿を見た者はいない。
定かではないが黒龍は最果ての島に住んでいるらしい。
最果ての島。
太陽の光が届かない場所。
生き物が住む事の出来ないその地に黒龍はいるらしい。

俺たちは最後になるかもしれないという思いから、スーの姿を追い求めた。
スーは庭の椅子に龍王に抱えられたまま眠っていた。
安心した様に龍王にすっぽりと包まれていた。
まるでニ人が同化しているようにも見えた。
それほど溶け合い、触れ合い身を寄せ合っていた。
蒼龍と紅龍の姿を見つけた龍王。
無言で近くの椅子に座らせた。
いつもとは違う気配にじっとニ人からの言葉を待っていた。

「私たちは今から黒龍の住むという、最果ての島に向かおうと思っている。」
「黒龍に会ってくる事にした。」
意志のこもった言葉と眼差し。
ニ人の想いはやはり翡翠だった。
「私も行く!!」
龍王にはニ人が黒龍に会いに行く理由が分かっていた。
それは勿論翡翠を助ける手掛かりを掴む為。
何が起こるか分からない最果ての地に行くつもりなのだ。
「だめだ、龍王はここでスーといてあげて」
「そうだ、スーを今この状態で一人する事は出来ない。
俺たちが行く。」
自分の腕の中で眠る翡翠に目をやる。
じっと見開かれた瞳。
瞳の奥に燃えるような闘志と信念。
意志の強さが翡翠への熱い思いがニ人の瞳から伝わってくる。
このニ人の翡翠に対する真っ直ぐな気持ちに嘘はない。
それだけは信じるに値する事。
これまでの翡翠に対する態度をみれば、それは紛れもない事実だ。

このニ人に任せて待つ。
龍王は他の者を信じるという人間の感情をまた一つ知る事になる。
確かに今ここを離れれば、きっと寂しい思いをするだろう。
恐怖と不安で押しつぶされてしまうかもしれない。
龍王はニ人を見返した。
「スーの命運をお前たちに任せる。
きっとここへ帰ってこい。
スーを悲しませたら、ただではおかない。」
本当は自分自身で黒龍に会いに行きたいだろう。
自分自身でスーの命を救う手がかりを捜したいだろう。
しかし、今スーから離れるわけにはいかない。
死の淵に引きずり込まれようとしているスー。
それを止まらせる事のできるのは龍王の存在。
龍王は自分のやるべき事はここでニ人の帰りを待つ事だと悟った。
「必ず帰るから。」
「行って来る。」
ニ人はもう一度、最後に翡翠の寝顔を目に焼き付ける。
最果ての島。
そして黒龍が住まうその島へと飛び立った。