高宮奏の離婚会見が行われたのは、翌日の午後だった。

 人目を忍んで訪ねて来たカオルから、ワイドショーで生中継されると聞いて、由莉は緊張しながらテレビをつけた。昨日と同じコメンテーターがまた勝手な見解を喋りまくっていたが、気にしないことにして、その時を待つ。

「あ、はじまるわね」
 隣に座っているカオルも緊張しているようで、クッションを両手でしっかり抱え込んで言葉少なだ。

 画面の向こうでは、テレビカメラがスタンバイしている会見場に、さっそうと高宮が現れた。紺のシャツに白いジャケットという爽やかさを強調するような服装で、地味めのスモーキーピンクと紺のストライプ柄のネクタイをしている。

「着こなしの難しいスタイルね。似合ってるけど」
 カオルがぼそっと言う。
 こういう場にスーツではなく、あえてラフなスタイルでのぞんだのは、謝罪が第一目的ではないということだろう。さすがに看板俳優なだけあって、マネージャーではなく所属事務所の社長が同席している。

 司会が会見のスタートを告げ、高宮本人がマイクに向かって口を開く。本日はお忙しい中……と決まり文句のような挨拶を前置きに、経緯の説明をはじめる。

「私どもは似た者同士の夫婦でした」

 会見で何を話すつもりか、由莉は一切聞いていない。すべて任せろと言われただけだ。
 高宮はまじめな面持ちだが、裏切られた夫のような悲壮感はまったくない。 

「初対面から私どもの距離感は近く、お互いに運命だと信じて結婚まで突き進んだわけですが、わりと早い段階で間違いに気がつきました。友人同士なら、これほど解り合えて気楽な相手はいないのに、夫婦として共に生きるには、あまりにも似過ぎて相性が良くなかったのです」

 まったく事実と異なる離婚理由を語っているのに、妙な説得力がある。演技が巧みなせいだろうか。当の本人である由莉まで、この人の言う通りの「妻」がどこかに存在しているような錯覚すら覚える。

「そのような気持ちを打ち明けるのは勇気がいることでしたが、妻も同じことで悩んでいたとわかり、それから二人で話し合いを重ねてきました」
 彼は目を伏せ、感情を整えるかのように一息ついた後、再び目線を上げて語り出した。

「私、高宮奏は白川由莉さんと離婚いたします」

 いくつものシャッター音が重なって響く。
「出演ドラマの関係もありまして、時期を見計らっていたのですが、もともと数ヶ月後には公表する予定でした。今回の報道により、不倫が理由での離婚というような間違った認識が広がるのは、私としても本意ではありません。もはや時期を待っている場合ではないと判断し、このような形でのご報告となりました。関係者の皆様に多大なご迷惑、ご心配をおかけしましたこと、深くお詫び申し上げます」
 立ち上がって頭を下げた高宮奏は、ものすごい数のフラッシュを浴びた。

 由莉は瞬《またた》きもせず、その姿をじっと見つめる。恋人として八年、夫婦として三年を共に生きた相手がつけたけじめがこれなら、自分には見届ける義務があると思った。

「奥さんとショーンさんの関係はご存じでしたか?」
 記者の質問が飛ぶ。
「知ってました」
 高宮は顔色も変えない。
「ショーンは子供のころから由莉さんを慕ってました。一般人の恋人がいるというのは、カモフラージュだったみたいですよ。初恋の人である由莉さんを一途に想い続けて、仕事で再会したのを機に気持ちが通じたそうです。ただ、離婚を決めた後のことですし、本当につい最近の話ですから、憶測で語られているような不適切な関係ではありません。彼らを知ってる人ならわかると思いますが、どちらも不道徳なことが出来る人間じゃないんです。形だけでも私と結婚しているうちは、性格的に無理でしょう。二人の関係は、まだローティーンのような幼くて初々しい恋がはじまったばかりで、大人の恋には程遠いんじゃないかなと思います」

 由莉は思わず赤面して、画面の高宮をにらむ。

「昨日の今日でこれとは、すごい対応力ね」
 カオルは抱きしめていたクッションをようやく手放し、ふうっと大きく息を吐いた。
「いつか別れようと、ずっと思ってたみたいだから」
 由莉は自筆でサインした委任状を丁寧に折って封筒に入れ、カオルに渡した。
「代理人の手配とか、今回の事後処理を頼みたいの」
 ぽかんと口を開けて、カオルは由莉の顔をまじまじと見た。
「やってくれるよね?」
 由莉はちょっと笑いを含んだ表情で、それでも怒ったふうを装うかのようにテーブルを軽く叩いた。

「はい、白状して」
「ごめん!」
 カオルはがばっと頭を下げた。
「引き受けるわ。何でもやらせてもらう!」

「どこからが計画だったの?」
「……正直に話すわね」
 カオルは両手をひざの上にそろえ、真剣な表情で語りはじめた。

「実はショーンには、イタリアのブランドから誘いが来てるの。世界でもトップクラスのメンズブランドと契約すれば、一気にトップモデルの仲間入りよ。うちの事務所にとっても、またとないチャンスなの。そう遠くない将来、本腰入れて海外進出したいから」
 
熱っぽく語る彼女に、由莉は無意識に相槌を打つようにうなずいていた。海外進出はカオルの長年の夢でもある。

「去年、そのブランドのキャンペーンモデルの一人に選ばれたんだけど、デザイナーがえらく気に入ってくれて、ぜひ専属にって破格の条件を提示されたの。ショーンも断るのをためらってた。あんな子だけど、モデルの仕事が嫌いじゃないの、由莉も見ててわかるでしょ? だけど話を進めようとすると、とても自信ないって怖気づいて全然ダメ。あたしもやけくそになって、ブランド側に半年待ってくれたら契約してもいいって強気で申し入れたら、あっさりOKされちゃって。もうこうなったら、半年でどうにかして高宮奏から由莉を奪うしかないって、ショーンを焚きつけて帰国させたの」
「嘘でしょ、ショーンまではじめから……」
「怒らないでやって。あの子は由莉の幸せを壊したくないって抵抗したのよ。山口さん経由で、由莉はそんなに幸せじゃないって吹き込んで、帰国を決意させるまでが大変だったわ……でも、ショーンが世界的な一流モデルになるには、どうしても由莉が必要なのよ。どんな有能なエージェント雇ったって、あの子を支えるのは無理だわ。そしてショーンが大舞台でコケたら、うちの事務所の海外案件は全部終わりよ。だからね、由莉や高宮さんに恨まれてもいいから、どんな手を使ってでも離婚させるつもりだった」

 由莉はあきれて、開いた口がふさがらなかった。
 だが、カオルがそこまでの決意でこの策略に賭けていたのなら、やっぱり憎めない。

「もし高宮が浮気しない誠実な男だったら、こんなこと考えなかったでしょ?」
「そんなきれいごと言うつもりないわ。うちの事務所にとって重大な案件だから、容赦なく遂行したのよ」
「……カオルさん、もうさっさと社長に就任した方がいいと思うよ」
 皮肉のつもりで由莉が言うと、カオルはにやっと不敵な笑いを浮かべた。
「近いうちにそうなるわ。由莉、イタリアからお祝い送ってちょうだいね」