「⋯⋯落ち着いたか?」

「うん⋯⋯。ごめん。それ、気持ち悪いでしょ」

「ん?ああ、これか?別に気になんねえよ、これくらい。気にすんな」

 どんよりとした気分で私が見つめるのは私の血が染みたロイの衣服(鎧の下に来ていて直接肌に触れるもの)

「ほんと⋯⋯なんか、情けない」

 ひどく惨めな気分になって膝に顔を埋める。
 あたりは真っ暗で、明かりは目の前にある焚火だけ。
 私が鼻血だしてわーわーやってなければ今日中に帰れたのにこんなところで一晩過ごすことになるなんて。
 ロイも気にしてないように見えてすごい怒ってる⋯⋯よね。

「あの」

「お前さ」

「な、なに」

 長い沈黙の中で先手を打とうとした途端にロイが口をひらき苦笑いを浮かべる。つい何を言われるのか身構えてしまう。

「鼻血でんの初めてとかやばいよな」

「⋯⋯は?」

 拍子抜けする言葉に一瞬固まるが、すぐに
「別に、鼻血なんてでなくても困らないでしょ」
 という。

「それにしてもあの時のお前はやばかったな」

 そういうとひとつ咳払いをして

「『きゃああ死んじゃうううう』」
 というロイ。

「⋯⋯それ、私の真似?」

「おっ、わかったか?やっぱり俺のモノマネ上手いよな」

「⋯⋯あんた、あとから覚えてなさいよ」

 ロイと口喧嘩していると不思議と元気になってくる。さっきまでのどんよりとした暗い気持ちもいくらか和らいできて焚火を棒でつついてみたりする。

「⋯⋯あのさあ、聞いてもいいか?」

 ロイが星空を見上げながらそう問うてくる。

「なにを」

「あいつのこと」

 あいつ。それが誰を指すかなんてすぐに分かった。
 その先の言葉を聞くのが嫌でまた俯く私。

「焚火なんて初めてやったよ。焼き芋焼けそうだよね。はは」

 自分でいっといてなんだが、なんてわざとらしすぎる話のそらし方。もっとさり気にやれればいいのに。
 ⋯⋯きっと、「ほんとに幼なじみなのか?」とか、「お前のこと忘れてたな」とか言ってくるんだろう。それこそ嫌味とかじゃなく、純粋な好奇心で。
 だけど私は、そのにあるのが悪意でも好意でもそのことに触れられるのが、まだ、怖い。

「どんなやつなんだ?」

「は⋯⋯い?⋯⋯」

 またも拍子抜けする問いが投げかけられ放心状態を通り越して若干呆れる私。

「お前みたいなのとつるむやつがどんなやつか気になるしさ」

「⋯⋯」

 顔を上げて、呑気にニカニカ笑ってるロイと向き合う形になる。

「ナナミはね⋯⋯」

 まあ、単細胞にも良いところはあるわよね。そう、心の中でつぶやいくと、私は幼なじみ達のことを語り出したーー。




「起きてください、ユシル様」

 聞きなれた侍女の声で目を覚ますと、ボーッとした頭を抱えて起き上がる。

「おはようございます。お父上がお呼びです。すぐに着替えて広間に来るように、とのことです」

「⋯⋯分かった」

 侍女が出ていったのを確認すると大きくため息をつく。
 窓の外は曇り空。あの日みた紺碧の空とはまるで似つかないような暗い空に比例して、気分まで暗くなってくる。

 ここはリオネス大王国で、僕、ユシル・マンテネスは、リオネスの中でも指折りの貴族の長男にして一人っ子だ。

 いつもと変わらない日常。いや、本来あるべき日常。逃げることも隠れることもできない現実。だというのに、この虚無感は、いつまで経っても僕の中から消えてくれない。

 自室をでて父の部屋へ向かう足取りは重い。

 父の部屋につくと、父は冷たい瞳でこちらを見て「遅かったな」と一言いい身振りで召使を部屋からだした。
 あまり人に聞かれたくない話をするのだろう。

「おはようございます、父上。ご用とはなんでしょう?」

 そういうと父はひとつ頷き、スッと手を横にさしだした。
 すると、その手の上に四角い水のスクリーンがあらわれる。
 これは魔法とよばれるもので、リオネス大王しか使うことはできない。しかし僕の父はそんな決まりなど破り、金で人を動かし、王でもないのに、自由に魔法を使っている。
 本当に⋯⋯大嫌いな父だ。
 そんなことを考えながらそのスクリーンを見つめていると⋯⋯。

「⋯⋯!?」

 突如としてそこに映ったのはよく見知った幼なじみの少女二人。
 僕が知っている彼女とは違った様子の幼なじみと、それに驚いている様子の幼なじみ。
 二人とも僕の大事な友人⋯⋯なんて言えるわけがなくて

「やっと接触したようだ」

「そうみたいですね」

 感情を押し殺して話すのはもうこれで何度目だろう?そしてこれから何度こうしていかなくてはならないんだろう。

「⋯⋯お前、こやつらに情があるわけではあるまいな?」

「はい、ある訳がありません」

 そう答えるも、スクリーンに映し出される二人の様子に背中を嫌な汗が伝う。
 まずい。このままでは本当に父の思惑通りに⋯⋯。

「ユンく〜ん」

 唐突に聞こえてきたそんな猫なで声が普段なら寒気がするくらい大嫌いなのに今ばかりは助かった。
 父ともうこれ以上、一秒だって一緒にいたくない。もう顔なんて作れそうにないから。

「ミミ⋯⋯」

 僕の腕に絡み付いてきたのは僕の肩程も身長がないまだ幼い少女。リオネス国王様の何十番目かの子供で末娘にあたる。ミミ・リオネス。

「ユンくん、ずっと会いたかったの」

 そして、僕の婚約者《フィアンセ》⋯⋯。
 執拗に腕に絡み付いてくるミミをうっとおしく感じながらも

「ありがとう」
 という。ミミは「ふふっ」と微笑むと父と向き合う形になる。

「お父様、おはようございます」

 そういってちょこんとお辞儀する。

「これはこれは、おはようございます、ミミ様」

「もう、お父様ったら、様付けはやめてくださいって何回も言ってるじゃないですか」

「おや、つい私としたことが。すまないねえ」

 そういって優しい慈愛に満ちた笑みを浮かべてみせる父。
 僕への対応とはまるで正反対の対応ぶり。このやり取りを何十回と見てきた僕でさえ恐ろしくなる。
 こんなふうに優しげな表情を見せている我が父がこれから国を乗っ取ろうと考えてるだなんて、幼いミミには考えもつかないだろう。
 ミミの父を裏切って、ミミの家庭を破壊して⋯⋯。
 そしてこのマンテネス家がこの国を乗っ取り最終的には⋯⋯

「ミミ、少し話があるんだが、いいかい?」

「はい!」

「じゃあ、ユシル、少し部屋から出てくれ」

 僕が先に話してたのに後からきたミミが優先⋯⋯。まあいつものことだし父とは同じ空間に一秒でもいたくなかったから丁度良かった。そんなことを思いながら

「はい」

 返事をしてスタスタと部屋を出る。

「ユンちゃん、またあとからね」

 そう口パクでいわれて苦笑する。

 最近上手く笑えてないな。
 みんなと会う前に逆戻りしてるみたいだ。




 〜七年前〜

「⋯⋯楽しそうだなあ⋯⋯」

 そんな小さな呟きは自分と同年代の子供たちの笑い声にかき消される。
 今はお父上から頼まれたお使いから帰ってきたところだ。両手で抱えた紙袋にふと視線をおとして苦笑する。
 僕は遊んでる暇なんてないし、帰ろう。
 そう思って歩き出す。
 いつもなにか用があって外出すると、無意識のうちにこの公園を通る。
 自分と同年代の子達が楽しそうに遊ぶ姿がとても眩しくて目が離せなかった。自分は到底できそうにないな。そう思って苦笑してどこか暖かいような苦しいような気持ちでその場を去る。それがいつものことだった。

「ねえ、君!」

 そういえば今家にはリオネス国王の娘さんミミが来ているのだ。まだ二歳の彼女に召使はおろか父もかかりっきりだろうな。

「ねえってば!」

 そんな元気な声に段々自分に話しかけているのではないかという疑問と期待が入り交じった不思議な気持ちになってくる。
 恐る恐る振り返ろうとすると、手首をつかまれる。

「こんにちは」

 ハッとして振り返った先には満面の笑みを浮かべた女の子。
 薄く橙がかった金髪は肩にかかるかかからないか程度でクリクリした鶯色の瞳はまっすぐにこちらを見つめてきて、まるで心の中まで覗かれているような気分になってくる。背丈は僕より少し高めで元気でハツラツとした少女だった。
 なんて眩しいんだろう、そう思いながら

「こん⋯⋯にちは⋯⋯」

 とぎこちなく返す。

「君、いつも私達のこと見てるよね?」

 そういわれて内心ギクリとする。
 知られてたんだ⋯⋯。
 どうしよう、なんていえば⋯⋯。

「一緒に遊びたいんでしょ?遊ぼ!」

「えっ!?」

 唐突な展開に僕が身動きをとれないでいると女の子が僕の手をグイグイ引いていく。

「あ、あの?⋯⋯」

「ん?ほら、君も足動かしてよ。重いじゃない」

 女の子の強引さと明るさと人を惹きつけるなにかに負けてしまいその言葉にぎこちなく頷く。少しだけならいいかな⋯⋯。そう思って僕は女の子に手をひかれながら歩き出した。

 僕より少し前を行く女の子の橙がかった金髪がサラサラとなびいて僕の鼻先をかすめる。
 寒い冬なのに春のように暖かな香りがした。

 不思議な人だな、と思った。
 僕の周りにはこんな人いたことなくて、もっと知ってみたいな、とも思った。

「みんな〜、連れてきたよ〜」

 女の子がそういって手を振る先には女の子が二人と男の子が一人。
 いつもこの公園で遊んでいる子達だ。

「おお〜!新しいお友達っ!?私はキラだよ!よろしくね!」

 目をキラキラさせてぴょんぴょん跳ねているのは、僕よりも背が低くて元気いっぱいの小動物を思わせる女の子。

「こんにちは。私はナナミ。あなたは?」

 スッとこちらに寄ってきたのは知的な貴族のような雰囲気の女の子。

「僕はユシル。えっと、よろしく」

「よろしく〜。僕はトウヤ」

 そういってナナミの隣でニヘラと笑ったのは唯一の男の子。尻にひかれてそうなタイプだな、なんて思っていると僕をここまで連れてきてくれた女の子が僕の背をバシッと叩く。

「さっ、自己紹介も終わったし遊びますか」

「え?あの⋯⋯」

 まだこの恩人ともいえる女の子の名前を聞いていないのに⋯⋯。

「ふっふっふ。実は私、鬼だったのです!だから⋯⋯」

 女の子がそういった途端キャーキャーいって僕から逃げるように駆け出すみんな。
 訳がわからずに固まる。
 どういこと?鬼とかなんとかいってたけど、それって僕のことだろうか⋯⋯。

「う⋯⋯」

 思わず溢れ出した涙。
 下を向いて懸命に涙を拭っているといくつも足音が近寄ってくる。

「どうしたのっ!?悪者さんいたっ!?」

 小動物のような女の子キラにそう言われてフルフルと首を横に振る。

「じゃあ、どうしたの?」

 暖かいお母さんのような声に顔をあげると知的な雰囲気の女の子ナナミがいて、僕の頭を優しく撫でてくれた。

「鬼って言われたから⋯⋯」

「え⋯⋯そんなことで?⋯⋯」

 恩人の女の子がキョトンとした顔でそういうとナナミが「リィン!」といって彼女を諌める。
 どうやら名前はリィンというらしい。

「ユシルは鬼ごっこって知ってる?」

 ナナミにそうたずねられて
「ううん⋯⋯」
 と答える。

 するとナナミは合点がいったような表情になる。

「なるほどね。ユシル、鬼ごっこっていうのはね、鬼役の人が他の人を追いかけて相手にタッチしたら次はその人が鬼役になってまたみんなを追いかけるっていう遊びなの。だから⋯⋯」

 ナナミに優しい声でそう言われてやっと鬼と言われみんなが逃げていった意味を理解する。

「そうなんだ⋯⋯」

「ねえねえ、やって見せた方がはやくないっ?」

「まあそうね。でもキラ」

 ナナミが話していることなんて聞いていない様子のキラは僕の方を向いて

「ユシル、タッチしてタッチ!」
 という。
 タッチ⋯⋯触ればいいのかな⋯⋯。
 キラの差し出したか細い手に触れるとキラは二カーッと笑う。

「ありがと!」

 そういうとどこかに駆けていくキラ。

「⋯⋯なんか嫌な予感⋯⋯」

 ナナミの斜め後ろに立っているトウヤがぼそりとつぶやく。
 その直後⋯⋯

「トウヤ、ターーッチ!!」

 助走をつけて駆けてきたキラがスライディングしてトウヤの足にぶつかる。
 バランスを崩して崩れ込むトウヤ。

「鬼ごっこってすごい⋯⋯」

 思わずもらしたつぶやきにナナミが苦笑する。

「あれは例外だよ」

「そうなんだ⋯⋯」

 そういった矢先トウヤが立ち上がる。
 その顔は涙でぐしゃぐしゃだ。

「ほら、逃げましょ」

「え?でもトウヤ⋯⋯」

「大丈夫よ。そういう子だから」

 戸惑いながら駆け出す。

「まてえええ」

 泣きながらも駆けているトウヤに目を奪われる。

「いつもああなのよ。」

「そうなんだ⋯⋯」

「そう。トウヤは泣き虫だからね。いつもこんな感じだしほんとに嫌だったら遊びに来ないでしょう?」

 トウヤを気にしている僕を気遣ってそういってくれるナナミ。

「じゃ」

 そういうとナナミは別方向に駆けていく。
 気づけば息を切らして懸命に走っていて、そんな自分がどこかおかしくて笑っていた。

 いつも憧れていた同年代の子達の遊びとはこんなにも楽しいものなのか。




 それから⋯⋯。
 その日公園で遊んだことが楽しくて仕方なかった僕はそのことをよりにもよって父に話してしまった。
 しかし父は「別に構わん。たまにそうして一般人と遊ぶのもいいんじゃないか」などといって僕が彼女達と遊ぶことを許してくれた。

 いつも厳格で僕のことなんか眼中にない父だったので、それは本当に珍しいことだったのだが、嬉しくてそんなこと気にしていられなかった。

 今となっては彼女達と遊ぶことを許したことも計画の内だったのか、それは定かではない。
 ただ、父が僕を思って遊ぶことを許してくれたんだったら、それは、本当に嬉しいことで僕は父を少しは好きになれるだろう。

 しかし真相は暗闇の中。
 僕の手の届くところには、ありそうにない。

 廊下でぼんやりと灰色の空をみながらそんなことを考えていると

「ユーンちゃん」

 語尾にハートマークがついた猫なで声でそういって腕に絡み付いてくる人、ミミ。
 そう、僕は縛られている。
 この子にも、この家にも。
 だからあの日、リィンが《《外》》への道を開いてくれた時も、あと一歩の勇気がでなくて、こちら側に踏みとどまった。

 今はそのことをひどく後悔している。

「今ねお父様と結婚式の日取りを相談してたの。ねえ、ユンちゃんはいつがいい?」

 けれど僕は、まだそちら側に行けないみたいだ。

 僕に全てを裏切る勇気がでるまで⋯⋯。
 そんな時なんて、くるのかな⋯⋯。