小学校4年の時だった。
この学校一番で入ってあれを読む‼
舞香の進路を決めたTV番組だった。

時々父親は、運動会に顔をだした。
自分の子供の運動会も、あったはずだ。


リレーの時いっも大きな声で、
《《《まいかー頑張れー‼》》》
と応援してくれていた。

1年に1回何分かの面会
父親は、それ以上声をかける事なく
拍手をしながら手を振って帰って
行った。

話す事も無くただ目線だけの面会。
その後は、凄くさみしかった
が舞香の心は、諦めるようにインプット
されていた。

先に帰った祖父母は、必ず鰻を
用意していた。
その楽しみが勝って次第に寂しさは
薄らいでいった。

まあ両親は、居なかったが
面白い両親はいてくれた。

いっも一緒に。

祖父は公務員だったから退職金も、それなりにあったと思う。

年金暮しだがこじんまりとした家も、あった。

祖父の運転で釣りに行ったり山にいったり。
遠出をしたり。

賑やかな疑似両親のお陰で明るく
育てられた。

愛してくれる親の方が
邪魔に思う親の方より数倍しあわせ。

父親も、新しい家族と上手くいってるようだし母親もお金やブランド品に囲まれて
おじいちゃんと同い年の旦那さんと
子供達と幸せとおもう。

何より祖父母が元気な事が有り難い。

母親がw不倫をせず、父親が我慢してくれていたら幸せ?だったのかな?
それか

もっと違う生活があったかもしれない。
祖父母に負担をかけたことが
こうかいしてならない。



生汗がタラりタラりとおちる。
教室のド真ん中の席にクラスメイトの
視線が集中する。

俺の机の上にはカワイイうさぎちゃんの
ハンカチに包まれた

赤い2だだだんのべ弁当箱が、...

《《《ボン‼》》》
と置いてあるでは・・・
あありませんかぁ〜
恐怖再来。😰

脳内にはあの惨劇が甦る。
昭和初期の犬も食べない様な弁当。

得意気な表情の弁当箱と舞香
o(゚д゚o≡o゚д゚)o

舞香と弁当箱(ºωº;≡;ºωº )を
交互にみる。

前後左右に何回も見て決心せざるおえぬ‼

当番‼は、しまったと言う顔を
して


ジヤイア〇に勘弁してくれと
哀願している。

俺は道ずれの2人に申し訳ないと
頭を下げ、


ふ、ふっ、震える手で...
ふ、蓋、蓋、蓋を開ける。

皆カバンをゴソゴソと腹痛、
海外旅行で使う強烈なヤツを手渡し
てきた。
大吾と当番2名は、神妙な顔付きになり
受け取った。

何故かカウントダウンがコーラスの
ように聞こえて来る。


10.......3.2.1.パッカリ

ฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!!
おーおーおーおーおおおおーおーおーおーお
SS40名の視線が弁当箱に集中する。
激弁食わされそうになり半年あの日
の恐怖は、記憶に新しい。

春から秋に季節は流れ

あのぐっちゃぐちゃな玉子焼きは、
ふんわりと、あの生煮えの唐揚げは
ニンニクしょうがの香りが残り
ジュウシーな噛み合わせ。


得体のしれないウインナーは、🦀
カニさんに変身していた。


ポテトサラダもそれなりに
しょうが焼きもプロ並に....


2段目のご飯は鶏釜飯。
DAIGOの好物、...

「どう、美味しい?」

得意げに腕を組みコクコクと頷く
大吾に、

「私だって頑張ればコレくらい
チョロイもんよ‼」


ふんぞり返った舞香に親友の由美が耳打ちした。

「ちょつとー、舞香っ‼
ホントにあんたが作った?
ありえないんだけど‼」

「由美よ‼
これをミロ‼」

仲良しの由美は、クルッとした目を
見開き「ああぁ、ナルホドね。」
校則違反のゆるふわの髪をかきあげて
チラシを眺めた。


料理教室6ヶ月コース‼
舞香は、料理教室に通い続け意外に
のめり込み、今では中々趣味見たく
料理にはまってしまったとか。