第1話 同棲

『奴』の事件の後、私はマスターの部屋に転がり込んだ。

と言うか、足を怪我したマスターのお世話をしてあげたかったんだ。

私を助けてくれたせいで怪我したんだし、お世話するのが当たり前だと思ったから。

お母さんは寂しそうだったけど、ちょっと我慢してもらう。

時々は家にも帰ってあげるし。

最初、マスターは迷惑そうにしてたけど、そんなの気にしない。

だって私はマスターの事が好きになってたから。

マスターは
「俺と居たらまた怖い目に遭うかもしれないぞ」って言ったけど

私は
「でも、また助けてくれるんでしょ」って笑って答えた。

マスターは呆れた顔してた。

だって私は二度マスターに助けられたんだよ。

それにびっくりするくらいマスターは強かった。

って言うか凄いカッコ良かった。

ボクシングをしてたみたい。

それとバーの前は探偵さんだったんだって。

何か謎だらけの人だよね。

ボクサーで探偵さんでバーのマスター。

前はちょっと危ない感じの人だと思ってたから警戒してたけど、悪い人じゃ無いことはもう良く判ったし、寧ろ色んな人を何度も助けてるんだって。

マスターの友達のマサさんも何度も助けられたって言ってた。

そうそうマサさんはマスターが入院してた時、私の事を嫁さんだと勘違いしたんだ。

なんだか凄く嬉しかった。

その時、私はマスターの事が好きなんだって気づいたんだよ。

そして、マスターが入院してわかった驚いた事。

マスターの名前。

『拳一』だった。

それまで名前なんて知らなかった。

ずーと『マスター』って呼んでたし。

友達のマサさんは『拳ちゃん』って呼んでた。

『拳ちゃん』・・・漢字は違うけど

これって偶然?

私はほんの数ヶ月前に失恋した。

相手は健太さん。

多分私のお父さん。

恋敵はお母さん。

お母さんは『健ちゃん』って呼んでた。

笑っちゃうよね。

知らなかったとはいえ、お父さんに本気で恋してたなんて。

でも告白する前に気づいたから、ぎりぎりセーフ? だと思う。

だって、お母さんには敵わないもの。

「私には健ちゃんしかいません」だって・・・

重い言葉だった。

それもあって少しだけお母さんと距離を置きたかったんだ。



マスターは無愛想だ。

言葉が短い。

でも一緒に居てると、本当は優しくて、明るい性格じゃないかと思うようになってきた。

何かよっぽど哀しい事があって、心を閉ざしてるんだと気がついた。

何があったのか知りたいような、知りたくないような。

マサさんに聞いたけど困った顔しただけで教えてくれなかった。

出来るなら本当のマスターを見てみたい。



1週間程だった頃、私は苛立ってた。

マスターと私の関係がまったく進展しないから。

「ねえ、マスター、お店はいつから開けるの?」
って聞いてみた。

「さぁ、どうするかな」

「もう足は大丈夫だよね?」

「みたいだな」

「ねぇマスター、私の事嫌いなの?」

「どうして?」

「・・・」

「どうした? 明日香」

「だって、こんないい女が一緒に住んであげてるのに・・・」

「・・・」

「私ってそんなに魅力ない?」

「いや、そんな事はない」

「じゃあ何で?」

「・・・」

私はマスターを見つめていたが、マスターは哀しそうな顔をして何も言ってくれなかった。

私はさらに苛立って
「わかった、もう帰る」って言ってしまった。

私はマンションを出た帰り道、自己嫌悪に陥っていた。

やっぱり私はかわいい女じゃなかった。

誰かが言った言葉
「明日香は黙ってたらいい女なのに」

マスターに嫌われたかも? って思うと死にたくなった。

公園の前に差し掛かった時には泣きそうだった。

その時、『男』が現れた。

『男』は不気味な笑いを浮かべ私の前に立つと突然「お前は何故生きている」って言った。