何にも…頭が回らない…
一度目を瞑ってから"夢であってほしい"と強く願って瞼を開ける。
…が、やはり目の前の"それ"は何も変わらなかった。
何度か目を瞑っては開いてを繰り返してみても、やはり目の前の光景は何一つとして変わらなかった。
その度に鏡に映る"自分"を見て、一瞬でもドキッとしてしまう自分に嫌悪感すら覚えてくる。
ナルシストな奴はたぶん、こういう気持ちなんだろうか…いや、どうだっていい、そんなこと。
現実では有り得ない出来事が目の前で起きてしまっているその事実に理解が追いつかない。
一体どうすりゃいいんだよ…
出ることの無いその答えをインターネットの検索窓に入力して…やめた。
俺が知りたい事はこの手のひらの機械には分からない。
かといって生憎相談できるような親しい友人も居ない。
…莉結を除いては。
だけど…いきなりこんな姿で"女になっちゃいました"なんて言える訳無いし。
考えれば考える程に現実逃避をしたくなってくる。まず普通の人なら100%信じないこの事実をどう解決すべきか。
…そしてまたそれは答えの出る筈の無い"問題"として俺を悩ませた。
何度かそんな事を繰り返していると、あくまでも希望的観測的話だが"あいつ"なら"そーなんだぁ♪"とか言って信じるんじゃないかなんて思えてきた。いや、そう思い込むしか無い程に追い詰められていた。
そして取り敢えず電話…とアドレス帳を開いた指が止まる。

「あ、あ、もし、もしもし」

ダメじゃん…こんな声じゃイタ電としか思われねぇよ…

そこで俺は鏡の前で暫く考え抜いた末、苦肉の策ではあるが、"直接会って話すしかない"という答えに辿り着いたのだった。

そして俺は今、毎朝一緒に登校している莉結の到着を待っている。
ブロック塀の陰から莉結の来る方向を見張っていると、いつもの様に小柄な人影が近づいてくる。
そして俺はブロック塀の陰でゆっくりと深呼吸をすると、意を決してその人影の前へと躍り出た。

「お…おはよっ♪」

莉結は少し困った様に私の顔を見ると、ふと私の出てきた方向を見る。

『えっ…誰っ?』

それはごもっともな返事だと思う。そう、普通はそうなのだ。
そして俺は少し俯きながらも続けた、なるべく笑顔で。

「えっと…瑠衣なんだけど、分からなくて当たり前…だよな。俺も何が何だか分かんなくてさ、ははは…」

"えっ、そーなんだぁ"なんて言葉を期待していると、不意に莉結の眉が寄った。そして少し尖った唇から思いもよらない言葉が出る。

『え、何言ってるの?しかも何で瑠衣の家の前にいるの?その服だって瑠衣が持ってるヤツだし…』

「いやっ、だから俺が瑠衣で…」

すると莉結は、何故か手の指先を伸ばし、左足を半歩前に出すと"構え"だしたのだ。

『変なこと言わないで。キミ…瑠衣に付きまとってるようだったら…ね?二度とこういう事しないって約束してくれないのなら警察を呼ぶか救急車を呼ぶかになってしまうけど…ねっ?』

って何笑顔で脅迫してんだこいつ…どうやったら分かってくれる?俺が逆の立場だったらどうすれば…

そして俺はゆっくりと歩み寄りながら真っ直ぐに莉結の瞳を見つめる。
こうすれば俺が本当の事言ってるって分かってくれる筈だ。

「おい莉結頼むよ、信じてくれっ」

『な、なんで私の名前まで調べてんのよっ?!同じガッコ…じゃない筈だし…ちょっと来ないでよっ』

そう言うと莉結は鞄をポンと放り投げると、スゥー…っと息を吐きギラリと鋭い眼光を放った。
そこで俺の足はピタリと止まる。だって莉結は合気道がバカみたいに強いから。この前も県大会に出場したばかりで、大会で優勝だって何度もしている程の実力者なのだ。
なんか信じてもらえる事…えっと…なんも浮かばねーよ…二人だけの秘密とか…思い出…俺しか知らない事…

『分かったわ、もう警察呼ぶから』

その言葉に俺の身体中から冷や汗が噴き出る。そこで俺は咄嗟に頭に浮かんだある思い出を口にした。

「あっと…アレだよ!203号室!」

『は?』

「莉結の昔の家だよ!よく遊び行ったろ?」

『え、なんで?!…どこまで調べてるのよ』

「何でそうなるんだよ!えっと、じゃぁそこで…その…約束したろ?今となっては子供の考えそうな可愛いお約束みたいな感じだけどさ。これなら信じてくれるよな?」

『確かに…それは私だって覚えてる。でも、そんな…ホントに君が瑠衣だとしても、だとしてもだよ?瑠衣があの約束覚えてる訳ないと思ってたのに…でもそんなんじゃ君の言ってる事信じれる訳無いでしょ!』

「だから俺は瑠衣だって!それを知ってるのは"本物の瑠衣"以外居ねーだろっ、な?」

『いや、だけど…そんな訳…だってどう見たって女の子でしょ!』

「俺だって訳わかんないんだよ!お願いだから信じてくれよ」

すると莉結は俺の足元から頭の先までゆっくりと眺めて言った。

『やっぱダメッ、ありえないもん!』

「それじゃあ逆にどうしたら信じてもらえんだよ!」

すると莉結は、顎に手を当て暫く考え込んだ挙句、とんでもないことを言い出した。

『んー…あ、そうだっ!じゃぁキスして?はいっ♪』

突然の莉結の言葉に俺は鳩が豆鉄砲を食らったように全身を硬直させる。そして顔がどんどんと熱を増していくと、ハッと我に返ってこう叫んだ。

「むむむむむ無理に決まってんだろッ!」

その瞬間、莉結は"ふっ"と微笑んで小さな声で"そっか"と呟いた。

『わかった、信じるよ♪間違いなく瑠衣なんだね、まだ混乱してるけど…』

「は?!ちょちょちょ待て、なんで急に信じるんだよ!」

『瑠衣が信じてって言ったんじゃなかったっ?信じるものは信じますよぉー♪ところで身体は何ともないの?』

俺は掌を返したかのような反応の莉結に困惑しつつも、まとまった話を拗(こじ)らせることもないかと普通に返答をする事にした。

「んん…まぁ。身体は俺もよく分かんないけど、いつの間にか痛みも無くなったし今んとこ生活面では何の支障も無さそうかな」

そう言った時、何か自分の言葉に聞き覚えのあるワードがある様に感じた。それに対する莉結の言葉でその答えが明らかになった。

『そっかぁ、だけど一応病院行った方が…』

「あぁ!思い出したッ!病院行くぞっ!!」

『えぇー?!?!』


俺は莉結の腕を引っ張って病院へと走った。
そこで気づいたのだが、案外この身体は使いやすいようだ。小回りがきくし、瞬発力が高い。そして何よりも体重が小動物のように軽い。
まぁ強いて言うなら、長すぎる髪の毛と慣れない胸の膨らみが邪魔なくらいだ。

そして俺は病院に着くなり、受付で"如月瑠衣が緊急事態です!!"と伝え、すぐに担当医を呼び出してもらうと、暫くして駆けつけて来た先生に一部始終を説明した。
驚きを隠せない様子の先生は、"ここじゃなんだから…"と、俺たちを会議室の様な部屋へと案内すると、パイプ椅子へと腰掛ける。そして先生が口を開こうとした瞬間、俺は椅子の前へと並べられた長机を"バンッ"と叩いてこう言った。

「いい加減俺に病気の事説明してくれよ!なんか知ってるんだろ!」

『すまない…まだ混乱しているんだ。まさかこんな事が起こりうるなんて…』

そう言って先生は眉間を指で押さえた。
すると、莉結が机の下で俺の手に自らの手をそっと重ねてきた。俺はそのお陰で少し冷静になると、先生を真っ直ぐに見つめてゆっくりとこう言う。

「先生…本当はこうなる事…分かってたんじゃないんですか?」

その言葉に先生の顔色があからさまに変わったのが分かった。
やっぱり…先生は何か知ってるんだ。こうなった以上全部吐かせてやる…
そう思い、俺が口を開こうとすると、先生が神妙な面持ちで口を開いた。

『いや…分かっていなかったといえば嘘になる。だが君が…瑠衣くんが、まさか女体化するなんて事はあくまで推測や可能性…いや、おとぎ話レベルの事象でしかなかったんだ。一度ならず二度までも…いや、すまないね。』

すると先生は"ふぅ"と大きく息を吐くと、俺の目を真っ直ぐ見て話し始める。

『いよいよキミには話さなくてはならないようだね…こちらにも色々と事情があって話せなかったが、君の病名は"シュールマン症候群"。その発端は今から16年ほど前、アメリカの"アメリア・シュールマンさん、当時16歳の少女が、突然"男性化"した事に始まる。これはホルモンの超異常分泌が原因とされているが、何故それが変態に因果するのかは本当に謎としか言えない。
だが私たちの研究の結果、ある特殊な女性ホルモンを定期的に摂取させることによって、超異常分泌を抑える事ができると判明した。…瑠衣くんに注射していた薬はその類さ。いや、薬はたしかに効いていたはずだったんだ…それが3ヶ月ほど前から突然…
力になれなくて本当に申し訳ない…』

色々と聞きたい事は山ほどあったけど、なんだか初めて"自分"を知れた様な気がしてホッとした。"知りたい事はまたいつでも聞けばいい"そう自分に言い聞かせて今回は追求しない事にした。

「いや、わかりました。ありがとうございます。なんか…スッキリしました。自分の事なんにも分かってなかったなって。
今までのモヤモヤがなくなった気がします。それで…俺は元に戻れるんでしょうか?」

それだけは聞いておきたかった。聞かずにはいられなかった。
しかし、先生の口からは俺が期待している言葉は出てこなかった。

『….早急に対処する…としか返答できない、すまないね。』

「…そう…ですか…ありがとうございました。失礼します。」

俺は失意のまま部屋を出ると、何も言わず黙ったままの莉結と並んでそのまま病院を後にした。