『…次のニュースです。昨日と打って変わって晴天となった県内ですが…』

俺はいつものようにテレビを消して立ち上がり、着慣れた制服に袖を通す。
そして洗面台の鏡の前でボサボサの髪を手で軽く直し、目の前の鏡に映った無愛想な男をぼーっと見つめた。

こんな顔のどこがいいんだよ…

これは、俺が常日頃疑問に感じていることだ。
俺の学校の女子たちはこんな俺の事を"イケメン"などと呼ぶ。
ただそれだけならまだいいのかもしれないが、"女の子みたいな"とか、"男とは思えないほど"なんていった言葉を付け加えやがるのだ。

きっとそれも褒め言葉である筈なのだが、俺は今まで"それ"を心地よく感じた事は無い。

いや、むしろそう呼ばれる事が"不快"なのだ。

玄関を出ると、風と共に舞い上がった落ち葉の先にどこまでも広がる空があった。
先程のニュースでも言っていた通り、昨日までの荒天とは打って変わってとても清々しい晴天だ。乾いた空はどこまでも高く透き通っていて、このまま俺を吸い込んでしまいそうな程だ…なんてちょっとカッコつけすぎか。

すると、溌剌(はつらつ)とした声が冬の寒空に響き渡る。

『瑠ー衣っおっはよー♪』

俺の肩をポンと叩いた、天真爛漫を絵に描いたようなこの女は、俺の幼馴染の高梨莉結(たかなし りゆ)。

性別こそ違えど、俺が唯一心を許せる存在である。

「朝から元気いいなぁお前は…ってお前、口になんかついてない?」

『これっ?今日のラッキーカラーなんだ♪気になってはいるんだけど…赤い物を身につけるといいってテレビで言ってたからさぁ♪つい…』


「"つい…"じゃねーよ!だからってケチャップつけたまま登校するか普通!!恥ずかしいだろッ!…ほらっ、動くなよ」

俺はポケットからハンカチを取り出すと、その"ラッキーカラー"とやらを拭き取ってやった。
ったく、こいつはほんっとに昔から天然というか馬鹿っぽいというか…
それなのにクラスの人気者で頭もいいし運動できるし…ほんと訳わかんねぇ。

『ちょ….みんな見てたよ!子供じゃないんだし自分で拭くって!』

「周りの目を気にするならケチャップつけたまま外に出るなっつーの!」

『たしかにー♪あはは…』


そして学校での退屈な一日の終わりを告げる鐘の音が響いた。

「…終わったぁー!!さーてっ…帰るかぁ」

『"帰るかぁ"って今日病院でしょ?』

「あっ、そうだったな…お前ほんとに記憶力いいよなぁ」

『瑠衣が覚えてなさすぎなんだよー。毎月のコトなんだからさぁ』

そう、俺は産まれてからずっと定期的に病院に通っては、よく分からない薬を注射されている。
中学へ上がるまでは三ヶ月に一回のペースで病院へと通っていたのだが、中学1年の秋辺りから一ヶ月に一回のペースへと縮まった。

そんな俺の持病についてだが…今の今まで誰に聞いても病名は疎か、ドコが悪いのかすら知らされていない。普通なら到底考えられない事だけど。
ただ、"何億人に一人という極めて稀な病気らしい"との情報だけは知っている。
母さんが…多分病院の先生と電話をしてたんだと思う。幼い頃、夜中にふとトイレに起きた時、部屋の中からそんな会話が聞こえてきたのだ。

…まぁ、例え稀な病気なんだとしても今のところ生活には何の支障もないし、この通りピンピンしてるから俺はそれについては何とも思っちゃいない。


「つか毎回毎回、ついて来て待ってるだけって暇じゃないの?」

『ぜーんぜん、この病院絵本たくさんあるから暇じゃないもん♪』

お前は子供かよ…

因みに 俺の通う総合病院のロビーは、二階まで吹き抜けになっていて、広々とした空間に長椅子が何列も連なり、各列の真ん中には小さなラックが置かれ、子供向けの絵本が数多く並べられている。俺がまだ小さい頃に耐震工事という事で大規模な改修が行われてからは、患者や家族の過ごしやすい造りに変わったようだ。

そして莉結は此処に来る度、俺の診察が終わるまでずっと、恥じらいもせずにその絵本を読んで待っているのだった。

『如月さーん、如月瑠衣さーん』

受付から声が響く。

「じゃぁ、行ってくるな」

俺はそう言うと、いつものように診察室へと向かう。
扉を開け、いつもの看護師が器具を揃えているのを横目に丸椅子へと腰かけた。


『では採血していきますので腕を…』

上着を脱ぐとすぐに採血が始まる。"いつもの事"だ。だから俺は予め待っている間に腕捲りしておいてすぐに採血をできるようにおくのだ。小さい頃は死ぬ程嫌だった注射も今じゃ慣れっこだな…

しばらくするといつもの様に忙しなく担当医が現れる。
この人は昔からずっと俺の担当医で、この病院でも腕が立つほうの医者らしいが…俺は名前すら知らない。だって幼い頃から先生は"先生"だったから特に知る気もないのだ。

『いやぁー瑠衣くん。調子はどう?』

「見ての通りピンピンですよ」

『そっかぁ、そりゃ良かった。…それで、君の体のことなんだけど…ちょっといいかな?』

そんな"いつも通り"では無い展開に俺の身体が少し強張るのが分かった。

「はい、どうか…したんですか?」

すると先生は顔を険しくして"ごほん"と咳払いをすると『前回の血液検査の結果が出たんだけど、ちょっと薬が効かなくなって来ててねぇ、これから一週間に一回通院して欲しいんだ』と低い声で答えた。

「え?!俺の病気って…そんなに悪くなってるんですか?」

『いや、生活面では何の心配もいらないよ』

すると先生はそう言うと独り言の様に『ただメンタルの面がなぁ』と呟く。

「メンタル?それはどういう…」

『いやっ、何でもないよ。だから心配しなくていい。治療費も今まで通りこちらで持つからね』

そう言って机の上の書類を"トントン"と整理しだしたのを見て、俺は特に追及もせずに「そう…ですか。わかりました。よろしくお願いします」と軽く会釈をして診察室を後にした。
何故なら、俺の病気はかなり珍しいらしく、"病気の研究も兼ねて"という事で有難くも医療費は全額病院側が持ってくれているのだ。母子家庭である俺の家にとっては、そのおかげでかなり助かっているのだ。

「莉結お待た…」

…って待合のベンチで横んなって寝てるし…ほんとどんな神経してんだよ。

俺は無防備かつ無神経にベンチへと横になっている莉結へと近づくと"ベシッ!!"っとその頭を軽く叩く。


『ったぁ、なにすんのっ?!』

「ったく…なにすんのじゃねぇよ、よくこんなところで堂々と寝るよなっ」

『…だってさぁ、瑠衣が遅いから悪いんじゃん』

いや…そういう問題じゃねぇだろ…

そんな莉結に呆れつつ病院を出ると、葉も残り僅かとなった街路樹がぽつぽつと並ぶ道をひんやりとした乾いた風に押されながら歩いて行く。
そして、いちいち言わなくてもいいのかな…とは思ったものの、胸に少し湧いた不安を払いたくて、俺はそっと口を開いた。

「俺の病気…なんだけどさぁ、えっと、なんか悪くなってるみたいでこれから週一で通院だってさ」

『えぇ?!瑠衣…死んじゃうの?!』

「いや死なねぇよっ、しかも病気が進行しても生活面ではなんの心配もないって先生は言ってたし」

そこで俺は、ふと先生の言ったその言葉に疑問を抱いた。
…生活面?
そういえば先生、なんで"生活面では"なんて変な言い方したんだろう…

『あっ!』

すると突然、乾いた空に莉結の声が響いた。
あまりに大きなその声に、俺は頭の中の世界から急遽現実世界へと引き戻された。

「えっ、何ッ?!」

『猫ッ♪』

「は?…猫?…あ、アレか?…そういえば猫好きだもんなぁ。ってか最近お前、猫のぬいぐるみばっか集めて…」

『ぬいぐるみも私にとっては家族みたいなものだからねッ♪』

金の無駄遣い…なんて言えないか。

「あ…あぁ、家族…だな、家族…」

莉結と居ると"家族"というワードには少し敏感になってしまう。そんな風にならない方が良いのは分かってるけど、こいつは両親が幼い頃亡くなって、今はおばあちゃんと二人っきりで暮らしてるって事もあるから、やっぱり心のどこかじゃ寂しい思いでもしてんのかな…なんて考えてしまうのだ。



…それから俺は、病院の先生に言われた通りに毎週欠かさずに病院へと通い、変わらない学校生活と共にあっという間に三ヶ月が過ぎようとしていた。