彼はただひたすら山に向かって歩いていた。
一定の速度を保ち、表情も何一つ変えず、
ただただ歩いていた。
息をすること、歩くことに生命をかけていた。
午前7時23分。
彼は山の中で人間が作った道ではない、
道なき道を歩いていた。
草や枝や虫が彼にバシバシと当たるが、時折
「人間よりはましだ。」
と呟きながらただただ歩いていた。
午前11時47分。
彼は少し開けた場所に来た。
もう彼のいた家も見えず、人間の声も聞こえない。
背の高い草だらけのそこで、
彼はその草をむしり始めた。
人間が作った歌を口ずさみながら、
草をむしり続けた。
すると、
「やぁ。始めまして。
この曲は僕の嫌いな人間が作ったものでね。
不思議なもので、この曲だけは好きなんです。」
彼は私に話しかけているのか?
私が見えているのか?
と少々不安になったがそんなはずもなく、
彼は空に、山に、地球に話かけていた。
「僕は人間という生き物が嫌いです。
貴方方はどうですか?
人間に眺められるのは嫌ですか?
人間に踏みしめられるのは嫌ですか?
近年天災が多いのは我々人間が貴方方の怒りを買ったからですか?
そうだ、何故私を殺してはくれないのでしょう。
沢山の人々が災害で死んでゆきましたが、
今僕は生きています。それは何故ですか?」
彼は本当に空や地球と会話しているような話しぶりだった。
いつの時代にも変な人間はいるものだが、
ここまでの者はそうそういない。
「あ、すみません。
今、僕はあなたの体の一部を抜いています。
人間が嫌いなのに、生きようと思うと
その嫌いな人間とおんなじような行動を取ってしまうのは私が人間だからでしょうか。
あなたの怒りに触れたなら今すぐここで私を
殺してください。
あなたにとって私の生命が価値があるのかどうかは分かりませんが。
他の生物の食料にはなるのではないでしょうか。」
恐らく、今彼は人間として生きてきて一番喋っている。
それにこんな楽しそうな彼の顔を見るのは初めてだ。
ずっとそばにいた訳ではないが、
割と気になっていたのでちょくちょくは見に来ていた。
するとどうだ、もう目が離せなくなっている。
「あ、そうだ…」
彼はこの調子で
一人称を安定させないまま話し、
暗くなるまで草をむしり続けた。