「え?!」

「はあ。実は今朝早く、信山様らしき人が歩いているのを見たというものがおりましてね。なんでも、ほら、ご存知ないでしょうかな。北の小高い山の上に、立派なお屋敷があるのを。そこの娘が、まあえらいべっぴんでして。ああ、まあそれはいいんですが。なんでもその信山様らしき人は、その屋敷へと続く道を登っておったそうで。ちらりと見ただけのようなんで、その先はわからんですが、あの道は屋敷のところで行き止りになっちょりますから」

言い終えた後、主人の口元にちらりと下卑た笑いが浮かんだと見えたのは、私の気のせいか。

混乱した頭のまま部屋に戻る。

どういうことだ。

やはり、信山はあの屋敷に行ったのか。

私たちのことを、あの屋敷のどこかで息をひそめてのぞいていたのだろうか。

私は回想する。

向かい合って座った、少女の笑顔。

その背後。少しだけ開いた襖。

その奥の闇。

いや、そんなはずはない。あのとき、あの屋敷に、私たちふたり以外の気配はなかった。

では、朝早く、屋敷へ向かった彼は、どこに行った?

桜の下。

私は昨夜の信山の軽口を思い出す。

…息をしない体となって、転がっていたのか。

私たちの居た、床の下で。

・・・ばかばかしい。

気分を変えようと、部屋の窓を開けた。

息を呑む。

桜だ。

桜が、真っ黒に塗りつぶされたキャンバスの中央で、光り輝いていた。

文字どおり、巨大な桜全体が光を放っていたのだ。

なんだこれは。

私はもう一度外へ駆け出した。

走る私の頭に、信山の言葉がばらばらに語りかけてくる。


あの桜ですよ。寄せ付けない。一人さびしく。つけ込むには最適。美人で色気があって。これ、差し入れ。運命の出会い。恥を掻き捨てるってやつ。両親に先立たれ。薄幸の美少女。仕事でトラブっちゃって。女子高生。生け贄。目を見てみなさい。一夜限りの。話し相手が欲しくって。冗談ですけどね。二度とここに来ることも。村の名士の。俺のテクで。やることやってたり。たっぷりと。あんな顔して。殺人鬼。だからあの桜は、あんなにも美しく。

油断してると、いまに我々も。


この村、ちょっとおかしくありません?