「あ、あの、いえ。ちょっと通りすがっただけなんだけど…」

この道はこの屋敷までしかつながっていない私道だ。

通りすがらねえよ、と頭の中でだれかがつっこんだ。

もうだめだ。完全に終わった。

「昨日もお会いしましたね」

…声まで美しい。

「…………。えっ!」

「ほら、あの桜の下で」

意外にも、彼女は笑顔を崩さず語り掛けてくる。

私を気味悪く思ってはいないようだ。

「あ、ああそうそう。あの時は、お恥ずかしいところを見られちゃって。あんまり桜がきれいだったんで、えっと、そう、まるで夢の中にいるような気分になってしまって」

ここぞとばかりに弁解する。

少女の顔がぱっと明るくなった。

「あの桜、好きですか」

「え?」

「あの桜、好きですか。私、あの桜が大っ好きなんです。そう、私も、ちょうどこの季節にあの桜の下に立っていると、たくさんの花びらに視界を奪われて、夢なのか現実なのか、わからなくなってくるの。まるで、深い、どこかとても深いところに落ちて行くような・・・でもそれでいて、ふわふわと宙を浮いているような。とても不思議な気持ちになるの」

そういうと彼女は私の前でうっとりと目を閉じた。

その白い首筋に見とれそうになり、あわてて視線を逸らす。

「わっ、わかるよ、その気持ち。あの美しさはまるで、この世のものとは思えないようだ…」

…きみも。

「うれしい・・・」

そう言って少女は本当に幸せそうに微笑み、私を見た。

その笑顔。

もはや私の理性は容易く吹き飛び、ぼんやりと滲んだ景色の中、ただ彼女の顔だけがくっきりと私を見つめていた。

「・・・あの、初めて会った人にこんなこと言うと、おかしな子って思われるかもしれないけど・・・。よかったら、お茶でも飲んでいかれませんか。・・・ううん、気にしないで。私、一人暮らしなの。だから気兼ねは無用。私、とってもうれしいの。だれかとあの桜についてお話できるのが。ね、いいでしょう?なにもお構いできないけど、お茶でも飲みながら、もっとゆっくりとお話しましょう」

薄紅色の唇が、別のいきもののように動く。