「え? 殿下が……」

「ヴィクトール兄さんも、パオリーノ兄さんも、僕と同じ歳だった頃には戦場に立っていたと言います。だから僕も兄さんたちにならって初陣に出るのです」

「でも殿下はまだ……」

 そこまでで私は言葉を切った。
 
(まだ15歳の少年……なんて無礼なことを言えるはずないもの)

 でもそんなジュスティーノ殿下が戦場に出なくてはならないほどに、ヴァイス帝国の内情は良くない。
 というのも、クローディア様のご逝去にひどく悲しんだ皇帝陛下が体調を崩されてしまったからだ。
 それまでは政治、軍事とすべてにおいて皇帝陛下が陣頭に立って決めていたのだけど、今は議会で決められているとパパが言ってた。
 同時に皇帝の権力が弱まったことで、有力な貴族たちが実権をわが物にしようと暗躍しはじめているとのこと。
 そして皇族としてはヴィクトール第一皇子、パオリーノ第二皇子、そしてジュスティーノ第三皇子の三人の存在感を高めることで、皇帝陛下に何かあっても引き続き実権を握り続けたいと考えている……。
  
 つまり『有力貴族 VS 皇族』の溝が徐々にでき始めていると、パパは顔を曇らせながら教えてくれたのだ。私が余計な争いに巻き込まれないように注意を促すために……。
 
(大人たちの薄汚い事情に、ジュスティーノ殿下は巻き込まれてしまったのね……)

 いつの間にか涙は止まり、心の中はジュスティーノ殿下への心配で覆われている。
 一方の殿下は手にした花束をクローディア様のお墓に供えた。
 そしてとても穏やかな顔で手を合わせたのだった。
 
「姉さん。この花は私が今朝摘んだものです。姉さんが好きだった白い花ですよ」

 以前、パパはジュスティーノ殿下のことをこんな風に言ってた。
 
――血生臭い戦場がもっとも似合わない、純真な心の持ち主だよ。

 と……。
 まさにその通りで、墓前に手を合わせる様子は、まったくけがれのない天使のようだ。

(それなのに……)

 ふつふつと憤りが沸いてくる。私は思わず大きな声をあげてしまった。

「こんなに心優しい御方が戦場に立たなきゃいけないなんて間違ってるわ!」
 
 ジュスティーノ殿下とパパが目を丸くして顔を見合わせている。
 そしてしばらくした後、二人は大笑いを始めた。
 
(もうっ! こっちは真剣に心配してるのに!)

 私はぷくっと頬を膨らませ、パパへ口を尖らせた。

「なんで笑うの? 私は殿下に戦場は似合わないって言ってるだけよ!」

「ははは! リアーヌ。そう心配しなくていい。今回はあくまで『お飾りの大将』。実際に戦場に立つことはないから安心しなさい」

「え?」

「すでに勝利が決まっている戦場に大将として赴くことで、殿下に手柄を立てさせる。そうすることで殿下に箔をつけるのが今回の目的だ」

「で、でも……。戦場では何が起こるか分からないって、パパが教えてくれたじゃない!」

 なおも納得がいかない私に、今度はジュスティーノ殿下が口を開いた。
 
「恥ずかしい話だけど、僕は戦場で活躍できるほどの才能はない。もし敵に囲まれたりしたら、たちまち殺されてしまうだろう。パオリーノ兄さんと違ってね」

「だったらなおさら殿下が戦場に出るのは間違ってます!」

「だからこそ、ここにいるオーウェン卿をはじめ、多くの貴族たちがどの戦場が僕に適しているか、吟味を重ねてくれたのです」

「パパたち貴族が……」

 パパに視線を向けると、パパはうんうんとうなずいている。

(皇族と貴族は争っているって聞いてたけど、もしかしてジュスティーノ殿下が『くさび』となって仲直りしたのかしら……?)

 大人の醜い権力争いのことに考えを巡らせていると、ジュスティーノ殿下がはにかみながら続けた。
 
「さらに万全を期すために、なんと『彗星の無双軍師』と名高いジェイ・ターナー大佐が僕の補佐についてくれることになってるんだ」

「ジェイ様が!?」

(まさかこんなところでジェイ様のお名前が出てくるなんて……!)

 完全にふいを突かれた。
 思わず体が固くなって、顔がかっと熱くなる。
 きっと頬が真っ赤になっているに違いないわ。
 細めたジュスティーノ殿下は軽い調子で言った。

「ふふ。リアーヌ殿もジェイ大佐のファンのお一人でしたか。彼は若い女性の憧れの的とうかがったことがあります」

「い、いえ、そんな……!」

 慌てて右手を横に振ったが、パパは白い目で私を見ている。

「そうだぞ、リアーヌ。はしたないことを考えるんじゃない」

「か、考えてません! パパは黙ってて!」

「ははは! やっぱりリアーヌ殿は姉さんが言っていた通りに素敵な女性だ」

 素敵という言葉に、ますます顔が熱くなる。
 頭の中はぐるぐると回り始めた。
 すっかりパニックに陥ってしまった私をそのままに、ジュスティーノ殿下はパパに向き合った。
 そしてとんでもないことを言い出したのだった――。

 
「そうだ。オーウェン卿。僕が見事に敵を討ち果たしたあかつきには、リアーヌ殿を僕の婚約者として迎えたいのですが、認めていただけませんでしょうか」

 大きな槌で心臓を打たれたかのような、すさまじい衝撃に呼吸が止まってしまった。

(な、なんですって……!?)

「で、殿下そのような畏れ多いことは……」

 さすがのパパも口を半開きにしたまま固まっている。
 しかしジュスティーノ殿下は平然とした顔で私のもとでひざまき、私の右手をそっと取った。
 
「いつの日か、僕と結婚してください。リアーヌ殿」

 そうきっぱりと言い切った殿下は、そっとわたしの右手の甲にキスをしたのだった――。