その時、コトンと小さな物音がして俺は我に返った。

「雫?」

また雫が俺の様子を見に来たのだろうと声を掛けるが、姿を現したのは雫ではなかった。

「月子ちゃん……?」

「あの……私……」

髪の毛は乱れ、泣き腫らした目で、ほとんどメイクもされていない素顔の月子ちゃんが迂闊なほどに無防備な状態でそこに立っていたのだ。

彼女がこの家に戻ってくるはずがない。

幻でも見ているのかもしれないが、俺が月子ちゃんの姿を見間違えるはずがない。

「私……伊織さんに言わなきゃいけないことがあるの……」

そう言うと、月子ちゃんが俺の胸にまっすぐ飛び込んできた。

「ごめんなさいっ!!政略結婚っていうのは全部嘘なの!!」

「嘘……?」

嘘とはどういうことだろうか?

月子ちゃんは俺に縋りつくようにして更に続けた。

「私、自分からお兄ちゃんにお願いしたの。伊織さんと結婚させてくれって!!伊織さんのことがずっと好きだったから!!」

月子ちゃんは綺麗な涙を目からポロポロと零し、俺に訴えかけた。

「お願い、伊織さん!!私と結婚して!!」

これは現実なのだろうか?俺に都合の良すぎる夢ではないのか?

頭がクラクラしてきて足がふらついたが、今倒れるわけにはいかなかった。