ユウジン

19.
 「エピソードエイト、観に行ったんですって?」
 ハッとした。一瞬の間があったような気がするけれどそれはもしかしたら自分があまりにも動揺したせいなのかもしれない。保坂が自分に視線を投げたのが分かった。一瞬遅れて彼を見上げた時には保坂はもう大沢を見て笑いながら楽しそうに話し始めていた。それははたから見ればそれは何の変哲もない打ち合わせの風景に見える。ビジネスの潤滑剤としての会話。午後の光が差している打ち合わせスペースにエアコンが効き過ぎている。
 「おっと、ネタバレしないでくださいよ、俺はまだ観てないんだから。保坂さん、映画はよく観るんですか?さっきね、御社の総務の方と話してたんですけど保坂さんとエピソードエイトの組み合わせって意外じゃないですか。」
 「そうかもなぁ、実はね、映画館久しぶりで。あぁ、シネコンっていうんだってね、今は。学生の頃はよく試験が終わった日の帰りに観にいったり、もちろん寄り道はいけないって学校から言われてるけどね。大沢君はそんなことしなかった?」
 「俺は真面目な学生でしたからねえ」
 「またまた、そんなこと言っちゃって、大沢君くらいになると毎日放課後につれている女の子が違うとかでしょ。」

 『シネコンって言うんだよ』と湖山が言った時の保坂の表情はなんだか懐かしかった。入学式の日に掲示板の前で「マサヒトだよ、ユウジンじゃない」と言ったときの、あの表情(かお)だ。薄青いライトの下に並んでライトアップしたメニューを眺めてシネマペアコンボにしよう、と保坂はいつになく自信なさげに言ってそれから「塩味でいいか?」と湖山を見た。「いいよ。」と湖山が答えると少しほっとしたように微笑んで「甘いのもたまにはいいかもしれないけどねぇ」とメニューを見上げた。その口調は仕事中に何か別のアイデアを探すときの口調そのままだった。

 ネクタイを締めていない保坂を観たのは何十年ぶりなんだろう。高校の制服もブレザーにネクタイだった。休みの日にたまに会うとき彼はどんな服を着てただろうか。その日の保坂は、ネイビーのVネックのニットに細めの白いパンツだった。いつもの保坂よりも少し細く見えたしいつもより若く見える。

 「久しぶりだなあ」と湖山がつぶやくように言うと保坂は湖山をみて「ほんとに」ととても優しく笑った。こんな顔もするんだなあ、と湖山は初めて見る同級生の横顔を見つめた。