ユウジン

14.
週末の朝、湖山がシャワーを浴びようとおもって下着を取りに寝室に入ると、先につかった大沢は濡れた髪のままでシャツに袖を通していた。オーガニックコットンを使ったニット生地のそのシャツは、去年の秋、大沢の誕生日に湖山が買ったもので大沢は着心地がいいといって度々それを着ていた。けれどその朝、大沢は一度着たそのシャツを着替えた。大沢はブルーのボタンダウンのシャツを着て袖口のボタンをかけながら部屋を出て行った。よく晴れた秋の空のような色のそのシャツは大沢によく似合う。大沢はそのことを自分でも良く分かっていて、古く色褪せてしまえばまた同じ色のボタンダウンのシャツと入れ替える。大沢は少なくとも彼が入社した頃からその色のシャツを選んで着ていた。忘年会で酔っ払って、大沢に肩を抱えられながら「あの青いシャツは大沢くんによく似合っているよ」と言ったら、大沢はとても嬉しそうに笑った。まだまだ学生のようで、でもとても器用な新入社員だった大沢と初めて仕事以外で口をきいた夜だった。
あれからもう十年も経って、大沢はやはり青いボタンダウンのシャツを着ている。でも、彼の横顔はもうあの頃のような幼さを残していない。
一人前の会社員であり、一人前のカメラマンであり、そして
── ひとの夫だ。
いつ言い出すのだろう?週末に会うのは本当だろうか。そう思いながら自分から尋ねることはできずに一週間が過ぎて、金曜の夜にになってやっと大沢は「明日はちょっと出かける」とことのついでのように言った。
「誰と?」と訊いたらいいのか、それとも・・・と繰り返し考えたことはやはりその時にも答えを出せずに、湖山は目を逸らしたままで「俺も」と答えるのが精一杯だった。

シャワーを頭から浴びながら、湖山は大沢が着替えたシャツのことを考える。そのことに意味があるのか。深い、意味があるのか。
もちろん答えが出るわけはなく、最近はそんな答えのないことばかり考えているなと苦笑した。
本当なら一緒に出かけようと話していた週末だ。大沢はそれを覚えているのだろうか。どこも混んでいる週末の映画のチケット売り場、繁華街の歩行者天国・・・たまにはいいじゃん?と言ったら「可愛いこと言うんだな」と言ったあの時の大沢は力尽きたようにベッドに横になって額も肩も汗に濡れていた。たった数週間前のことだ。
シャワーから出てリビングに入ると、大沢はテレビの前で靴下を履いていた。ボタンダウンの立ち上がった衿、上までボタンを留めていないその襟元に男らしい首が青い影を湛えている。湖山は目を逸らすようにタオルを頭からかけてごしごしと髪をぬぐった。
手を止めて大沢がこちらを見ているのが分かる。
ほら、やっぱり。
「なんだよ」
湖山は少しぶっきらぼうに言う。
「いや、なんでもないよ。今日は遅くなる?」
大沢はまるでこの数週間が嘘のように穏やかに湖山に尋ねる。『遅くなるのはそっちじゃなくて?』という言葉を飲み込む。嫉妬深い女みたいなことをいう訳がない。
「どうかな、遅く、なるかな。」
と、壁に掛かった時計を見る。待ち合わせの時間には早い ── でももう出よう。そう思いながら、今日一日、時計を見るのを止めようと決めた。