ユウジン


11.
湖山は日付を遡って何日ぶりなんだっけ?と数えた。車窓を流れていく景色をぼんやりと眺めながら頭の中の手帳を遡る。大沢とともにこの電車に乗って帰路に着いたのはもしかしたら一ヶ月以上も前のことだ。
昭栄出版を出てふたりの足は自動的に駅に向かった。そろそろ帰宅のラッシュが押し寄せるターミナル駅の人の波。私鉄に乗り換えてもどちらも一言も発さなかった。
湖山の頭の中のスケジュール帳があるページで止まる。あの時、「昨夜(ゆうべ)どこに泊まった?」と訊いたら良かった。ここ数週間何度も思ったことをまた考えた。子どもじゃあるまいし、こうやって無事に仕事をしているんだから心配することはない、それに自分は彼の…つまり、彼の…。
と、いつもと同じ思考回路の行き止まりに辿り着く。そしてそこから道を戻るようでいて実は違う道を辿る。今度は「どこに泊まったのか」ではなく、「多分泊まった場所はひとつしかないのだ」と思う。「泊まった」のか「帰った」のか、知らないけれど。するとすかさず「帰ったのに決まってるじゃない」と頭の中で声がする。その声は自分の声のようにも、それから保坂の声のようにも聞こえた。その声は続ける。
今度は確かに聴いた声を、言葉を。

『よ、ユウジン、いたいた!ロビーで大沢くんを見たからもう来てるんだなと思ったらやっぱり。奥さんと仲いいんだねぇ、新婚さんかぁ…、彼、大沢くん、週末のデートの約束してたよ。聞こえちゃった!』
何も知らない保坂が無邪気に言った。ほんの数時間前、昭栄出版の応接室で──あの時自分はどんな表情(かお)をしただろう。よくよく思い出してみる。あの時心臓がどんと大きく打った。けれど、大丈夫、きっと大丈夫なはずだ。だってあの時、あの応接室はまるであの頃の放課後の教室のようだった。
『週末って言えば、ユウジン、映画見に行かないか?最近まったくもって映画とかご無沙汰でさぁ。付き合えよ。な?何か観たいのある?あ、やべ、打ち合わせの書類持ってくるわ。じゃ、あとでな!』
あの頃もよく保坂に誘われて映画を見に行った。中間テストが終わった放課後の教室で、あるいは期末テストが終わった帰り道で、保坂は「終わった!終わったぁ!」といかにも気持ちよさげに「なぁ、どうだった?」なんて訊いて来たって多分湖山の答えなどどうでもいいのだ。「新譜買いに行くから付き合って」「新しいスニーカー買いに行きたい」「映画見に行こう」
学生の休みに合わせたように公開するロードショーよりも、年がら年中「先週」とは違う映画をやっているような小さな劇場が多かった。フランス、ドイツ、イタリア、欧州の国々で生まれた美しく優しく時に哀しい映画たち。小説のような映画を愛する保坂がだから文学部を選んだと聞いた時湖山はいかにも保坂らしいなとそう思った。けれど、湖山がカメラの道に進もうと思ったのだってあの多感な時期に見た数々の美しい映像がきっとその背中を押したに違いないのだ。
「大人ぶっちゃって」
と苦笑がこぼれる。あの頃の自分達の幼さを思えば今はもう十分に大人なのだろうか。美しく優しい、時に哀しい映画を、おそらく今ならただ美しいと愛でるだけではなくなっただろう自分達を思う。
高校を卒業してから自分に起きたライフイベントの数々、その数と同じくらいのまた別のライフイベントが保坂の人生にもあって、保坂だってきっと泣いたり笑ったりしながら「今」にいるのだ。まるでこともなげに笑っている彼でも。
あいつも、と考えてなんだか違うと思う。たとえば ──たとえば、保坂なら、恋人が知らない香水の匂いをさせていたらきっと胸倉をぐっと掴んで睨みつけて怒鳴るだろう。湖山のように訊きたい言葉を飲み込んだりなどせずに。胸倉をぐっと掴んで?あぁ、違うか、保坂が好みの「女」ってどんな子だろう。なんとなく思い浮かべるのは綺麗というよりは可愛い女の子だ。──白いウェディングドレスに身を包んだすっきりした美人を思い浮かべる。── そう、きっと、"彼女"とは反対のタイプの。