仁の声は小さくてよく聞こえないけれど。
千夏さんの声はやたらはっきりと聞こえる。
この建物は決して壁が薄いわけではないので、いかに彼女が大声で叫んでいるのかが、よくわかる。
その時、ぬっとドアノブをひねる音がした。
「え…」
丸いドアノブは開いたのか、開いていないのかもよくわからない仕組みだ。
だけど、あたしには、ドアの小さな悲鳴がたしかに聞こえた。
ドアの前で堂々と立ち止まっていたあたしは、どうしたら良いのかも分からない。
盗み聞きはいけないことだ。
あたしだってされたならば、嫌な気持ちになるだろう。
それでも動くことができない。
足はまるで地面に張り付いたように、ここにとどまってしまう。
そして、あたしの耳がおかしくないことが証明されたかのように。
内側からドアが開いた。
数センチ、開いたのか、開いていないのか分からないくらい。
それでも、中の音ははっきりとあたしに聞こえた。
まるで聞きなさいとでも言うように。
僅かに見えたあの手は。
明らかに女の手だった。
その声をより鮮明にしたドアの隙間。
「千夏との、“約束”。忘れたの?」



