「…はっ、冗談でしょ。馬鹿じゃねえの、揃いも揃って。その女ごときに」
「馬鹿なのはてめえのほうみたいだな、林」
ドンっと聞こえたのは何だったのか。
振り向いていた胴体をさらに強く引き寄せられたから、あたしには分からなかった。
ただ、照史の声が聞こえなくなったあたりから。
とても危ないことが起こったのだと、そう感じずにはいられなかった。
「あとは部屋でたっぷり話を聞いてやるよ」
その部屋がなにを意味するのか、あたしはぼんやりと理解することができていた。
照史がどこに行くのか、そこで一体なにをされるのか。
あたしは予測できていた。
だけど、止めなかった。
止めるつもりはなかった。
「照史」
だけど呼び止めた。
伝えることはたった一つ。
「おじいさまには帰らないと伝えて」
ドアの開く音に慌てて、だけどどこか作った冷静さを醸し出して、そう言った。
声が震えないように、注意して。
あたしが貴方を怖がっているなんて、そんな過去。
消してしまうかのように。
「和佳菜…あいつは」
「分かっている」
あの子はきっとここから出てこられないと。
日の目を見ることはないと。
仁、貴方はきっとそう言いたいのでしょう。
「照史はとてもしぶといの」
あたしは仁にそう微笑むしかなかった。
困った顔をしていたかもしれない。
だってあたしの顔を見た途端、仁が、あの仁がね。
急に泣きそうな顔をするのだもの。
あの仁がよ?
気高く美しく、
華やかで、
決して人を寄せ付けない、
近づき難い、貴方が。
「だいじょうぶ、あたしは平気」
まるで呪文でも唱えるかのように、あたしは仁に笑った。
今度はもう少し、うまく笑えているといいな。



