「ファン?」


ファンとは。


どういうことなのか、辞書で調べたくなった。


いや、意味はきちんと理解しているが。


このあたしに、“ファン”なんてものがいるのかと。


聞いたこともない、あたしは。


これはあたしを惑わせるためのものなのか。


きっとそうに違いない。


何故って、そうでなければ。


こんな廊下の端で言われて辻褄があう理由が思い浮かばないのだ。


「…嘘だと思っているようなので改めて言いますが、本当のことです。昔一度会ったことがあるんです。頭に決起集会に連れて行ってもらったことがあって」


あの、黒スーツの男が並ぶ決起集会に?


こんな小さな男の子が参加したというの?


「佐々木さん、この子見たことある?」


そう振り向いた瞬間に。


「和佳菜様!」


なぜか焦った顔をした佐々木さんに、あたしは反射的に片足に重心をかけて屈んだ。


拳は右脇を掠り、僅かな鈍い痛みに顔を歪める。


少し遅かったが、直撃を免れただけよかったと思う。



「…っ!」


相手の荒い息遣い。


あたしは振り返り、痛みで歪めた顔なんぞ見せずに、殴った相手にふふっと笑ってみせる。


「…不意打ちでもしたつもり?」


「…あんた喧嘩出来ないの嘘だろ」


「出来ないわよ?…暴力は嫌いだからね」


「出来ねえ奴はこんな反射的に避けらんねえだろ」


結論を言えば、殴ったのは椎田だった。


いつの間に、と思ってしまっただけあたしは読みが甘いのかもしれない。


「玲君、貴方本当に舐められないわね」


「舐められたら困りますよ。さすが僕が尊敬しているだけありますね。こんな死角なのに、ほぼ当たってない」


「馬鹿にしている?」


「まさか」


玲がニッコリわらった。



「尊敬してます」



意味がわからない。



彼はそのまま。



「貴女はやっぱり僕の理想の方ですね。手合わせありがとうございました。椎田さん行きましょう」


「っ玲!いいのか?」


「これで避けられなかったら少し考えるつもりでしたけど。そんなこともなかったんで、やっぱりいいかなって」


「玲!」


振り向かずにそのまま去ってしまう。


そのまま角を曲がって視界から消えるのかと思えば。


「あ」


彼は思い出したように、振り返って。


「和佳菜さんのこと、尊敬しているのは本当のことです。さっき会った時は、あの濃いメイクではなかったから、気がつかなかっただけで」


そう微笑んで、今度こそあたしの視界から消えた。




「…ったく、これだからガキは」

 
はあとため息をついた椎田は。


「早く千夏を連れ戻してくれ」


なんて言い出した。