少しの間黙った後、未来が再び口を開いた


「藍(あい)」


藍にはその未来(みくる)の声が泣いているように聞こえた。


漫画を閉じて未来の方に傾けると、同じように藍を見る未来と目が合う


「なんだよ」


見慣れた未来の顔がいつもと違うような気がして、藍は思わず視線を逸らした。


「キス…してみたくない?」


「は?お前何いってんの?」


「藍はしたことある?」


「だったらなんだよ」


ベッドが少し軋む音がした。
未来が身体ごと藍の方を向く。


「あるの?」


「うるせえなぁ。部屋追い出すぞ」


窓から幼児の元気な声と母親の声が聞こえた。「先生またねー!」「ありがとうございました」


「また来てね」


来年65歳を迎える藍の祖母てる子ばーちゃんは、「保育ママ」の仕事を一旦辞めるのだと聞いた。


「もうすぐ飯だぞ」


未来から目線を逸らしたまま藍は言った。


「うん」


未来は仰向けに戻り、腕で目を覆った。


「だいたいお前、いきなりなに?」


今度は藍が身体を未来に向ける。ギシッという音が部屋に響く。


「べつにいいじゃん」


「なんだよ」


「…」


再び沈黙が部屋を流れた。腕で目を覆った未来の表情は、藍からはわからない。


藍が唐突に未来の腕をつかんで顔から離した。隠していた未来の顔が現れ、藍と目が合う。


「…泣いてねえのかよ」


「なんで泣かなきゃいけないのよ」


「知らねえよ」


腕を掴んだまま、ポーカーフェイスの藍の表情がふっとゆるんだ。


つられて未来も笑う。


「お前バカだろ」


「藍に言われたくなーい」


そう言って未来は藍の背中に手を回すと、胸に顔を埋めた。藍も未来の身体を抱き寄せる。


2人がこうしてくっつくのは、あの冬の日以来、二度目のことだった。


でもあの時とは違って、藍は未来の小さな身体を抱きしめていて、未来も藍に身を寄せている。


「お前体温高くね?」


「眠いから…?」


「眠くなってんじゃねーよ」


2人はそれ以上何も言わず、お互いに目を閉じた。それはお互いにとって、中学生最期の一番幸せな時間だった。