「そうですね、駅周辺だと3店舗、もう少し奥まったところに2店舗ありますが......ボリュームがある方がいいですか? 変わり種がいいですか? 飲み物が豊富なお店もありますよ」

と私が3人に言うと、赤いダウンがすかさず、
「ボリューム! 」
と目を輝かし、長身は一つ唸って、
「変わり種ってどういうのがあるの?」
と私に向かって興味津々に訪ねたので、私は珍しいフルーツを扱ったタルトや、変わった趣向を凝らしたパスタなどの説明をした。
「そんなの今度お前一人で行けばいいだろ。俺は普通のナポリタンがたらふく食べたいんだよ」
赤いダウンは長身にそう言って、長身は、
「それもそうですね、今度僕の彼女を誘って2人きりで行きます」
と鼻を鳴らして笑ってみせたので、赤いダウンは口をひん曲げて嫌そうな顔になった。
木森は一つ笑って、私に場所を訪ねた。どうやらボリュームの多いお店に行くことが決定したらしい。

「もし良ければ、ご案内しましょうか? 」
暇だし、という言葉を飲み込んでそう提案すると、木森が嬉しそうに、
「いいの? ありがとう」
と言った。

ボリュームが売りのそのお店は、駅のロータリーの隅にあるビルの、3階にある。
喫茶店ではなく、洋食屋なのだが、学生や男性のサラリーマンが主に贔屓をしているような、安くて早くて多くて美味しいお店だ。
入り口に置かれた看板に書いてあった【冬季限定! 濃厚チョコレイトケーキ】がものすごく気になったが、私は財布の中に吹雪が吹いているのを思い出し、
「ではここで私は」
と、3人が口々にお礼を言い、手を振って店内へ入って行くのを見届けた。
まさか奢ってくれなんてお願いできないし、だけど......クビになんてなっていなければ、今頃あの濃厚なチョコレイトケーキだって、青山の新作だって口にできたのに。
俯き落ち込んでため息をつきながら、エレベーターに乗ろうと↓のボタンを押した。
「桜山さん! 」
店に入ったはずの木森が、私に駆け寄って来た。
「今日はありがとう、あのさ、あの......さっき渡した連絡先、本当に、あの。待ってるから! そ、それだけ伝えたくて」

それだけかあ。
私は図々しい期待を打ち消して、笑顔を作ったが、腹の虫が盛大に鳴った。
それは静かな鉄筋ビルの廊下に響いて、目の前の木森にも聞こえたらしい。
「もしかして、食べてないの? ......奢ろうか」
恥ずかしさで腕を組み、隠しても仕方がないけれど腹をおさえた私は、断るよりも早くお言葉に甘えて、という便利な言葉を口に出していた。
この人、ただの変なメガネ太っちょじゃないかもしれない。天使かもしれない。

店内は賑わっていて、長身と、赤いダウンを脱いだ彼が、既に青いギンガムチェックのビニール製テーブルクロスが掛かった席に座って居た。

「ああ、一緒に? いいよ。桜山さん、だっけ。俺、木森の同僚。菱川です、よろしく」
赤いダウンを脱いだ彼、菱川がそう自己紹介を始めると、長身の彼も続いて、
「部下の浅見です、喫茶店巡りが趣味です」
と自己紹介をしてくれた。
木森が、
「そうだよね! 俺、名乗ってもいなかった。ごめんね。木森遊です。大きい植物の森でキモリ。遊ぶ、の一文字でユウ」
とにこやかに言った。
「改めまして、桜山あゆみです。元ウェイトレスの......現在無職です」
自分で初めて声に出したその現実に、一人で打ちのめされていると、菱川がアララソリャタイヘンダーネとおどけてくれた。浅見はメニューを開いてマイペースに迷っている。
「今日は本当に本当にご馳走になってもいいんですか? 木森さん......今度必ずお返しします! 」
私が隣に座った木森に頭を深々下げると、
「じゃあ今度お返し待ってます」
と木森はのんびり微笑んだ。

ナポリタン大盛りと、ふわとろオムライス、それから何故か私のチョコレイトケーキの隣には、この店の売りにもなっているメニューの、どでかいレインボーカラーホールケーキが運ばれてきた。
「うわあ! 可愛い! これ、食べきれそうにないから私、いつも迷って注文しなかったケーキです! 」
私は興奮して言いながら、色彩鮮やかなアメリカンチックですらあるそのクリームの重なりに唾を飲み込んだ。

「おい木森、休憩あと40分もないぜ。そんなもん、全部食えんのかよ」
菱川がナポリタンにフォークを埋めて巻き取りもせず口に運び始めながら言う。ラーメンみたいな食べ方しないでほしい。浅見の方を見ると、きちんと背筋を伸ばしてナイフで卵を切り裂いていた。さすが喫茶店巡り趣味。

木森は、ウンウンダイジョウブ、と頷いてスプーン(?!)を手に取り、切り分けもせずショッキングピンクの裾を抉った。
嘘でしょう。
そんな食べ方、そんな食べ方羨まし過ぎる......。
「桜山さんって、実家住まいなの? でなければ本当にやばくない? バイト紹介しようか」
浅見がスプーンで綺麗にオムライスを崩しながら言った。
「うそ! 嬉しいです」
もう恥も外聞もなくなってきていた。
「バイトねえ。 ああ、うちの会社でアレやってたじゃない。アレがいいんじゃない? 」
菱川がマッシュルームだけをフォークに刺して言った。串焼きみたい。
木森は口の周りにカラフルなヒゲを作りながら、
「ふぉうだお、あれがいいほ」
と多分、同意をしていた。

「アレって、なんですか? 」

その日から数日経って、2月28日。
アレのアルバイト日だった。
「では桜山さんはこの5店舗よろしくお願い」
「はい、わかりました」
木森の働く会社とは、小さな出版社のようで、木森はグルメ系雑誌の編集者だった。
そして私のアルバイトとは、飲食店のモニタリング。
食べて感想を文章にして、それを集めて特集を組むそうだ。

天職かな。
5店舗の一つは、なんと青山の贔屓にしていたあのチョコレイトショップで、念願の新作マカロンを食べることが出来た!

その夜、私はカナエの家にマカロンの詰め合わせを持って行った。
玄関先のインターフォンに近づいて、
「カナエ〜......開けてよお、私ね、仕事見つかったんだよー、......アルバイトだけど......」
と声をかけると、カナエは鍵を開けてドアをひらいてくれた。
「入って、寒い」
一見仏頂面のカナエは、それでも長年私の知っている彼女が照れたような時にする癖を出していた。耳たぶをつまんで擦るのだ。

タオル生地のガウンに身を包んだカナエが、風呂上がりのシャンプーの香りをさせながら、ドライヤーを扱い、鏡越しに私を見る。
木森たちのこととアルバイトが天職だと思うことを説明しながら、マカロンの封を開け、勝手知ったるカナエのキッチンで、アッサムティを淹れた。

「そう、まあ良かったんじゃないの? うわ、美味しい。太っちゃう」
カナエはマカロンに舌鼓をして、目を細めた。
私もマカロンを手に取り、幸せの小さなパステルカラーを堪能した。

「でも、いい奴だったんだね、そのデブ......木森さん? 」
カナエがアッサムティに口をつける。
私もミモザ柄のティカップに手を伸ばした。
「うん、ただの変な人かと思ったけど、いい人だった。結局、ケーキの他にパスタも食べていいよって言ってくれて、全部奢ってもらっちゃった。美味しかったなあ。それに、木森さんが食べてたあのレインボーケーキ。生で見るとすっごい可愛かった。でもね、木森さんすごいの。20分もかけずにスプーン一つでするする食べていくの。なんだか見ていて気持ちがいいくらいだったよ」
「へー、蹴られて殴られて貢ぐなんて、マゾヒストかな」
「カナエ、ひどい」
美味しいアッサムティとマカロンの、親友との再会に安堵して、ぼろ家のムカデ荘アパートに帰っても、まだ糸を引くように、私はカナエと笑い合った時間に余韻を感じていた。

朝、起きて行きつけのカフェへ行くと、モーニングセットのクロックムッシュ、ブレンドコーヒー、それからベイクドチーズケーキを注文した。ああ、平和。幸せだ。幸せは平和なお菓子を食べられるこの日常のことを言うんだ。カナエとも仲直り出来たし、仕事もある。木森さんと出会えて本当によかった。
ブレンドに落とした角砂糖を小さじのスプーンでかき混ぜていたら、快晴の空が大きな白い格子窓から見えた。飛行機雲が斜め右上に伸びて、なんだか綺麗。自然と笑って頬杖をついていた私の、目の前で窓越しにノックをした木森に気づいた。

笑顔を木森に向けて、手を小さく振ると木森は微笑んで、鞄から取り出した一枚の紙を見せて来た。
窓越しなので声は聞こえないが、紙をよく見ると、それはポスターで、

【会員募集中!美味しいケーキとアフタヌーンティに是非あなたもおいでください。場所・自由が丘グリーンカフェ 日時・毎月第ニ土曜日の午後三時からお好きな時間まで。会員応募要項・未成年者お断り。喫煙者多数在籍中。紅茶、珈琲、ケーキやお菓子が大好きな方大歓迎。〜まったりごゆるりぐるうぷ〜】

と丸文字で書かれている隣には、やたらと重そうな生クリームが添えられた、素朴なバナナケーキの写真と、アンティークソファで足を組み肉球でティカップをもち、煙草を嗜む虎猫のファンシーな絵が描いてあった。
「なんですかこれ? 」
私が訊いたところで、窓越しのため声は木森に届かない。それを察した木森は頭をかいて、携帯電話を取り出し、指差したあと悲しそうな目をした。

ああ、そういえば連絡先の登録をすっかり忘れていた。
私は慌ててパスケースに入れっぱなしだった木森のメモを取り出し、スマートフォンにそれを登録した。
それを指差して窓を向いたが、木森の姿はそこになかった。スーツだったところを見ると、仕事中だったのかもしれない。
しかしその直後、通知音がした。木森だ。
チャットツールのアイコンに、女性が映っていた。まさか彼女? タップして大きなサイズで見ると、木森と関係するにはあまりにも不釣り合いなほどの美女だった。
ムードメッセージには【俺の奥さんは世界一ィ】と書いてある。
奥さん!?
......何やら絶妙に不愉快な感情が駆け巡る。
なんて思わせぶりな男だよ。
と、そんな言葉が頭に浮かんだ。
震えたメモ用紙。良いなと言った私の言い訳。また会えてよかった、と感動した眼差し。
べつに、好きなわけじゃないけれど。
1ミクロンだって好きじゃない。
ただ少し親切で良い人。あんなデブメガネなんて異性として好きになる訳がないし。
べつに、好かれていたなんて確定していなかったけれど。
ヴーン。通知が続けて鳴る。目に入った木森からのメッセージは、

【登録ありがとう! やっとしてくれたね(笑)すごく嬉しいです。そうそう、あのポスターだけど、もし良かったら、一緒に参加しない? お菓子たくさん食べられるよ! 自由が丘のグリーンって、知らないかな、すごくお洒落で美味しいケーキがあるんだよ。かぼちゃのタルトが絶品で。どちらかと言えば、素朴な味なのかな。珈琲ととっても合うよ! どう? 面白そうじゃない? 】

アイコンが《奥さん》じゃなければ心は踊っただろう。
あれ? どうして?
「......」
可笑しい。それは可笑しい。
私は、

【アイコン素敵な奥さんですね。私とそんな催しに参加して、平気なんですか? 】

と書いた文字を見直す。まあ、《奥さん》を怒らすには充分な理由だと思うのは“普通”だよね。
これは心配してあげているんだから“自然”だ。

迷って、【アイコン素敵な奥さんですね。】の句読点を消し、目がハートになった絵文字に変え、【平気なんですか〜?】と冗談めかして見た。なんでこんなに気を遣わなければならないのか。腹が立って来た。

どうでもいいよ! と思いながら、怒りの送信ボタンをタップ。

既読マークはすぐについた。
しかし、1分経っても3分経っても5分経っても、私がブレンドコーヒーを飲み干しても、ベイクドチーズケーキを食べ終わって、食器を下げて行く店員に微笑んだ後も、返信は返ってこなかった。

なんだ、それ。