ー文久3年9月ー

その日の晩は大雨が降っていた。
遠くで雷が鳴りはじめ、
藤堂平助は眠れずにいた。

『……イヤな予感がする…』

京の都…西の隅、壬生にある前川邸。
八木邸だけでは手狭と、局長の芹沢鴨が
無理やり借り上げた邸宅だ。
そこに、近藤勇ひきいる
試衛館で集った、いわゆる『試衛館組』の
若き剣士達が駐屯していた。
藤堂平助もそのうちの一人だ。

彼は割り当てられた、暗く…小さな小部屋の
せんべい布団の上で
愛刀である上総介兼重を抱えながら
ごろごろと何度も寝返りを打ち

…眠ろうとする。

だが、何とか"ソレ"を振り払おうと試みるも

勢いを増す雨音に…
胸がざわついて……眠れない。

平助はその"予感"がよく当たるのを
自身でも感じていた。

予知や千里眼などのハッキリとした
特種な能力とは言えない。

ただの"第六感"という程度のものではあったが
彼は彼自身の人生の中で
イヤと言うほど経験してきた。
金品の関わる賭け事や、勝負事には
全く役に立たないソレではあったが、

"人の死"などに感じるソレは…

『ああ……やっぱり…』
と思うほど当たっていたのだ。

「あの時、俺がああしていれば良かった」と
後悔するのがとても嫌で
いつしか、そんな"予感"がする時は、
先手を取って、自ら先に動くようになっていた。

この時代、京の都では
徳川幕府のやり方に不満を持つ
攘夷派による幕府役人殺害などの
『天誅』と呼ばれる殺傷害事件が多発し、
血生臭い時代へと移り変わろうとしていた。

そんな中、徳川将軍の警護ならびに
京の治安を守るために結成されたのが
壬生浪士組…のちの新選組である。

その中で"死番"という規則がある。
何組かの隊に分かれ、
その中で隊士達は日替わり交代の
"死番"というものを勤めなければならない。


"死番"
それは字の如く…もっと死ぬ確率が高い者…。

攘夷派浪士の襲撃は、路上だけに限らなかった。
商家への見廻り訪問のさい、彼らが潜んでいて
とっさに斬りかかってくる事もよくあったのだ。

そんな中、"死番"に当たった者が、
まず一番に建物に入る。
そして…まっ先に狙われる危険な当番。

そのため、その日"死番"に当たる者は
起きたその瞬間から…

その日の"死"を覚悟しなければならなかった。

そんな厳しい規則の中、
藤堂を組長とする八番隊だけは事情が違った。

死番を決めても、いつの間にか
平助が先頭に立ち、浪士とのいざこざも
彼が真っ先に斬り込んでしまう。

平助が、そんな命知らずの行動を取る『理由』が…


……実は2つあった。

のちに鬼の副長と呼ばれる
土方歳三にも、口うるさく

「平助てめぇ…何度も言わせるんじゃねぇ!!
死番は組員全体で回せ!!」

と、叱責されたが

「だから何度も言いますが!
俺はデカいのにちょろちょろ前に立たれると
ぜんっ・・・ぜん見えないんですよ!前が!!」

と、食って返していた。

実際、平助は隊士の中で一番小柄であったので、
建物へ討ち入る際は、後ろにいては中の様子が
全く見えないのだ。
だから真っ先に突入する。

それが1つ目の『理由』である。

その事は、土方歳三も分かっていた。

「チッ……チビ助!
もっとメシ食ってデカくなりやがれ!」

と、子供のケンカのような
無茶難題を押し付けながらも
本当の所、それでいいとさえ思ってた。

土方は『合理的』を好むタイプの
人間であったからだ。

仮に平助が真っ先に突入しても、
後ろに大柄で腕の立ちそうな者がいれば
一瞬でも、そちらに目が行く。

その刹那、相手を斬り伏せる器量を
平助が持っているのを土方は知っていた。

それに…
土方にも、そんな無鉄砲時代の経験があったのだ。

土方歳三は六人兄弟の末っ子に生まれた。
物心付いた時には、
大きな兄や姉が居て、守ってくれていた。

だが、いつも守られているだけの存在…
それが子供扱いされているようで
歯がゆく…ただただ気に入らなかった。

そんな命知らずの平助が、
多摩の片田舎で
バラガキと呼ばれていた時代の
昔の自分の姿を見ているようで
嫌いではなかった。

土方自身も、もし、沖田総司や平助などの
年下の弟分が出来ていなければ
あの頃……
薬屋の格好で道場破りをやっていた
バラガキのまま、いまだ真っ先に
俺も…斬り込み隊長でもやっていただろぅと…

…すこし平助が羨ましくもあった。

たが、八番隊だけが
組長自ら死番というのも、
他の隊に示しが付かないため
たまに、平助を捕まえては釘を刺すのだ。

が、
平助には……土方も知らない
知られてはいけない『理由』がもう1つあった。

それはこの時の土方歳三には、到底分からない…
…だが…
いずれ味わう感情を…

すでに平助は抱いていたのだ。

それは…"おのれの死"に対しては
サッパリ無頓着な点で
どこか似ている二人ではあったが
平助と土方の決定的な違い…

"他人の死"への感覚がまるで違っていたのだ。