「君が疲れて眠たそうだったから、寝やすいようにと思ってさ。寝心地悪かった? ごめん」

「ヴィンセント、そうじゃなくて、あのね、あん、もうー」

 ベアトリスは頭を抱える。

「ベアトリス、そろそろ帰ろうか。この時間生徒も殆ど家に帰っただろうね」

 腕時計を見ながらヴィンセントは一つ欠伸をした。

「あっ、私、早く帰らなくっちゃいけなかったんだ」

 ベアトリスは思い出したように慌てて立ち上がる。

「ああ、アメリアのことかい?」

「えっ、何も言ってないのに、どうしてアメリアのことだって分かるの?」

「いや、ほらだって、いつもアメリアはベアトリスに厳しいし、門限だってあるだろ。早く帰らないと怒られるんだろう。そんなのすぐに分かるよ」

 ヴィンセントは慌てて弁解する。

 まさか前日に父親がアメリアに電話して全てのことを知っているなんて言えなかった。

 あのときアメリアが受けた電話はこれだった。

 ベアトリスはそんな事実に気がつかず、上手い具合に勘違いした。

「違うの。昨日からアメリアの具合が悪いの。だから早く帰ってあげないとと思って」

「あっ、そうなのか。そ、それは心配だね。でもすぐに治ると思うよ。水さえ手に入れば……」

 それを言った瞬間、ヴィンセントは思わず「しまった」と心の中で思った。

 つい口が滑って余計なことを言ってしまい、ベアトリスの反応を恐れた。

「水?」

「いや、その、ほら熱があったりしたら水分をこまめにとらないといけないっていうじゃないか。だから水分補給はこまめにってことだよ」

「う、うん。そうだけど」

 ベアトリスはどこかひっかかった。アメリアのあの不思議な水を飲む姿が思い出される。

「僕が家まで送っていくよ。今日は親父が車貸してくれたんだ」

 ヴィンセントが立ち上がり、軽くジーンズをはたいた。

「もう免許とったんだ」

「驚くことないよ。この国は16歳になればすぐに取れるだろ。それに僕は学年は一緒でも、実は君より一歳年上になるんだ。腕だって免許取立てと違って幾分か慣れてるよ」

「年上?」

「あっ、留年したと思った? まあいいけどね。一年遅らすこともよくある話さ」

 ヴィンセントはドアに向かった。

 その後姿は一歳上と知っただけで大人っぽさが増して見えるようだった。

 それだけのせいではなかった。

 急激にベアトリスと距離が縮まったヴィンセントは一気に攻めるように大胆になり、ベアトリスの知らない内面が露出していく。

 それは強引な力となり、ベアトリスにも影響を及ぼしていた。

 優しく口数の少ないイメージから、野生的な部分が際立って目に付きだした。

 それはさらにベアトリスの心を魅了していく。

 ベアトリスはまるで火を見つめて飛び込んでいく虫のように、小走りにヴィンセントの後を追った。