神在(いず)る大陸の物語【月闇の戦記】<邂逅の書>

 躊躇いが無い訳ではない。
 一度、完全に魔に飲まれれば、憑(よりまし)である者の魂は魔に消される。
 だが、少しでも意識が残っていれば・・・荒業だが、引き剥がすことが出来ない訳ではない・・・
 しかし、その僅かな躊躇が仇となった。
 レイノーラの青玉の瞳が爛と見開かれ、邪眼と呼ばれる両眼が閃光の如く発光すると、スターレットを取り囲んだ旋風の結界が一瞬にして消し飛んでしまったのである。
『なに!?』
 差し伸ばされたレイノーラの指先から、黒い炎の獅子が彼に向かって一気に解き放たれる。
 空を薙ぐ炎の牙が、身を翻したスターレットの右腕を一瞬にして捕られた。
 音も立てずに沸き立つ黒炎が、灼熱の痛みと共に彼の全身を駆け抜けていく。
 秀麗で雅な彼の顔が、激しい苦痛に歪んだ。
『シャム・ドルーガ(守りの風)』!」
 呪文と呼ばれる古の言語を紡いだ瞬間、虚空より出でた蒼く鋭利な輝きが、疾風と共に舞い降りて、彼の腕に食らいついた黒炎の獅子の牙を捕らえ、破裂する蒼い光を飛び散らせて、削ぎ取るようにそれを引き剥がす。
 黒き炎の獅子は、そのまま虚空へ弾き飛ばされた。
 未だに残る灼熱の痛みに深紅の両眼を細めて、間髪入れずに彼は再び呪文を口にした。
『フェイ・ドルーガ(疾風到来)』!
 不吉なほどに茜に染まる夕闇の虚空に、一筋の冷たい風が吹き抜ける。
スターレットの肢体から、ゆらりと立ち昇った蒼きオーラが空に渦を巻き、次の刹那、眩く輝く蒼い光を伴って凄まじい爆風となり、宙に弾かれた炎の獅子を一瞬にして飲み込んでいった。
とたん、炎の獅子が断末魔の咆哮を上げる。