神在(いず)る大陸の物語【月闇の戦記】<邂逅の書>

 凛々しくも端正な顔を僅かな苦悶に満たし、だが、尚もその場に立つ彼の片手が、未だに憤怒の形相ををするイリーネの黒い腕を掴む。
「これで気は済んだか・・・・?イリーネ?・・・・・・おまえは馬鹿だ・・・・・・・俺が、おまえを・・・・忘れるはずがないだろ・・・・」
 何故か、静かにそう言った彼の凛々しい唇から、鮮血の紅い帯が零れ落ち、その顎を伝って彼女の黒い腕に滴り落ちていく。
「!?」
 憤怒の形相をしていた彼女の顔が、ふと、驚愕の表情へとうち変わる。
 黒い翼を羽ばたかせ、彼の胸から鍵爪を引き抜くと、その三つの傷から、溢れるように鮮血が噴き出して、紫の衣をみるみる紅に染めていった。
「な、何を言うの!!?今更・・・・!?」
 彼女の内に残っていた僅かな人の心が、禍々しく輝く赤い瞳に戸惑いを現した。
 ふわりと地面に降り立った彼女を、燃え盛る炎のような緑玉の瞳で見すえると、何故か、彼は、鮮血の紅が帯を引くその唇で、やけに穏やかに微笑んだのである。
 イリーネの赤い両眼が、更なる驚愕に大きく見開かれた。
 時を同じに、ジェスターの後方にいたリーヤが、利き手に握っていた『無の三日月』を地面に放り投げると、彼の背中に向かって大きく両腕を伸ばしたのである。
 普通の人間であれば、即死してもおかしくないほどの深い傷を負っているのにも関わらず、何故、彼は立っていられるのか・・・・
 いくらアーシェの一族とはいえ、人間であることには変わりないはず、これ以上出血が続けば、彼とてただでは済まないだろう。