それなのに、体が動かない。
 光樹は自分の木刀を持っている手を見た。すると、カタカタと揺れているのがわかった。

 光樹は目の前の恐怖があまりの怖く、全身が震えていたのだ。

 目の前の男がニタニタと笑いながら何かを叫んでいる。けれど、何を言っているのかなど理解出来なかった。
 その場から逃げたかった。けれど、母親の声だけが聞こえた。「光樹、逃げて。」と言う、弱々しい声だ。

 けれど、足さえも動かすことが出来ずに、光樹は木刀を握りしめたまま、男の事を見つめることしか出来なかった。
 
 血塗れの男が、包丁を掲げそのまま勢いよく振り下ろして光樹を斬った。

 その瞬間、胸から腹に渡って鋭い痛みが走った。悲鳴も出ないまま、光樹はその場に倒れその苦痛にもがき苦しんだ。
 その後にも何度が背中や足、腕などに痛みが走った。叫び声が聞こえた。
 けれど、それが自分の声だとわかったのは、随分後になってからだった。

 体が冷え、痺れた頃にはもう痛みはなくなっていた。
 目の前には同じく苦しそうにする母親が泣いているのが見えた。

 強くなったはずなのに………。
 毎日練習やトレーニングをして、バカみたいに体や技を磨いていたのだろうか。
 全ては、守るためだったではないか。

 何が剣道全国制覇だ。
 そんなもので勝てても、恐怖には勝てなかったのだ。

 光樹は悔しさで涙が出た。
 朦朧とした頭と、ぼやけた視界で母を見つめた。そして、震える手を必死に母親に向けた。


 「母さん、守れなくて………ごめんなさい………。」


 その言葉が上手く言えたのかはわからなかった。
 けれど、光樹が見た最後の母親の顔は、とても悲しそうだった。