誠は懲戒免職処分を受け、夏休み最後の日曜日の午後、実家のある北海道へ帰って行った。飛行機で帰る誠を見送るため、優介と麻衣子は羽田まで行った。誠はそれほど懲りた様子も無かった。
「田舎でどうやって暮らして行くつもり?」
気遣う気持ちを込めて麻衣子は尋ねたのだが、いともあっさりと、
「別にぃ。両親健在だしなぁ。養ってもらうさぁ。世間体が悪いってなら塾の講師でもやるっきゃないだろ」
と言ってのけた。再び教鞭を取ろうとしている誠に2人は完全に呆れ返った。
「妊娠した生徒はどうした?」
「中絶した。退学したんじゃないかぁ? 他に男がいるってのにそいつらの名前最後まで言わないんだぜぇ。結局俺の子どもってことになっちまった。ひどい女さ」
「で、本当は誰の子なんだ?」
「本人も分からねぇんだと」
そう言って大声で笑う誠に優介は拳を振り上げようとしたが、麻衣子がその手を優しく抑えた。それを見た誠は鼻で笑いながら、
「おい、優介、麻衣子を宜しく頼むぜ。悪い虫が付かないように」
と言った。
これには優介も麻衣子も絶句してしまった。
羽田からの帰り道は優介が麻衣子の車を運転した。
「あいつと暮らした2年間を悔やむ気持ちは無いのか」
スムーズに前の車を追い越しながら優介は麻衣子に尋ねた。
「悔やみもしたし憎みもしたわ。でもどうしようもない。あの年齢に戻ってやり直せるわけじゃないし」
カーステレオのボリュームを麻衣子は少し下げた。そして止めた。暫く沈黙があった。
「麻衣子は俺と暮らせば良かったのさ」
「何故?」
「だって俺たちはこんなに長く続いているんだぜ。ベストカップルじゃないかな」
「一緒に暮らしてたら終わっていたかもよ」
「そうかな」
「そうよ」
「試してみようよ」
「何を?」
「一緒に暮らしてうまく行くかどうか」
「それでどうするの?」
「うまく行きそうだったら結婚しよう」
「結婚を前提に暮らすわけ?」
「そうさ」
「私、結婚しないわよ」
「俺とはってこと?」
「ううん、そうじゃなくて、今は結婚なんかしたくないの」
「ずっとフリーでいたい?」
「今のところはね」
「一緒に暮らすだけなら良いじゃないか」
「誠との生活をやめてまだ半年も経ってないのよ。少し考えさせて」
「チェッ、タイミング良くプロポーズしたつもりだったんだけどな」
こだわりのない笑いで優介はその話を打ち切った。
麻衣子の心の中にちらりと、優介とならという思いがよぎったが、もしかしたら寂しさから起きた気の迷いかもしれないと、彼女は溜息でその思いを打ち消した。和也という新しい男の存在もある。仕事も波に乗っている。悪い事は何も無い。まだまだ麻衣子はいろんな可能性を秘めている。ここで結婚なんかしてはいられない。母が、結婚に失敗した母が、娘の平凡で幸福な結婚を望む気持ちを裏切るわけではないが、この世の中結婚は女にとってやはり終着点だと麻衣子は思っている。
「私は結婚に向かない女なのよ」
と彼女は心の中で呟いてみた。情けなくもあったがそれが現実なのだ。
「優介」
「何?」
「夕飯、うちで食べて行かない?」
「麻衣子が作ってくれるのか」
「腕を揮うわ」
「その後は?」
「その後って?」
優介の言わんとすることは分かる。横顔で笑う優介の頬に麻衣子は拳を押し当てた。その拳を優介は自分の掌で包み、シフトノブの上へ置いた。そして自分の手をその上から重ねた。
「俺はね、麻衣子と知り合えてとても良かったと思ってるよ」
低い声でゆっくりと優介は言った。
「1つだけ悔やむことがある。下成より早く麻衣子に会わなかったってことさ」
麻衣子は何も言わず前を見ていた。麻衣子の右手は優介の左手の中にある。シフトを変える度に力がこもる優介の少し汗ばんだ掌を麻衣子は感じていた。
日はまだ当分暮れそうにない。少し西に傾きかけてはいるが空がオレンジ色に染まるまでにはかなりの時間が要るようだ。
「首都高に載ろうか」
「どこに行くの?」
「気の向くままに」
「そういうの久し振りだわ」
「ガソリン代心配?」
「まさか」
「よし、行くぞ」
「代々木のパーキングでコーヒーを飲みましょう」
「それは良い考えだ」
「その後は私が運転するわ」
「了解」
麻衣子のマンションまでもうすぐだというのに、第一京浜を右に反れて首都高速1号線へのトールゲートを抜け、都心へと進路を取った。
終わり

「田舎でどうやって暮らして行くつもり?」
気遣う気持ちを込めて麻衣子は尋ねたのだが、いともあっさりと、
「別にぃ。両親健在だしなぁ。養ってもらうさぁ。世間体が悪いってなら塾の講師でもやるっきゃないだろ」
と言ってのけた。再び教鞭を取ろうとしている誠に2人は完全に呆れ返った。
「妊娠した生徒はどうした?」
「中絶した。退学したんじゃないかぁ? 他に男がいるってのにそいつらの名前最後まで言わないんだぜぇ。結局俺の子どもってことになっちまった。ひどい女さ」
「で、本当は誰の子なんだ?」
「本人も分からねぇんだと」
そう言って大声で笑う誠に優介は拳を振り上げようとしたが、麻衣子がその手を優しく抑えた。それを見た誠は鼻で笑いながら、
「おい、優介、麻衣子を宜しく頼むぜ。悪い虫が付かないように」
と言った。
これには優介も麻衣子も絶句してしまった。
羽田からの帰り道は優介が麻衣子の車を運転した。
「あいつと暮らした2年間を悔やむ気持ちは無いのか」
スムーズに前の車を追い越しながら優介は麻衣子に尋ねた。
「悔やみもしたし憎みもしたわ。でもどうしようもない。あの年齢に戻ってやり直せるわけじゃないし」
カーステレオのボリュームを麻衣子は少し下げた。そして止めた。暫く沈黙があった。
「麻衣子は俺と暮らせば良かったのさ」
「何故?」
「だって俺たちはこんなに長く続いているんだぜ。ベストカップルじゃないかな」
「一緒に暮らしてたら終わっていたかもよ」
「そうかな」
「そうよ」
「試してみようよ」
「何を?」
「一緒に暮らしてうまく行くかどうか」
「それでどうするの?」
「うまく行きそうだったら結婚しよう」
「結婚を前提に暮らすわけ?」
「そうさ」
「私、結婚しないわよ」
「俺とはってこと?」
「ううん、そうじゃなくて、今は結婚なんかしたくないの」
「ずっとフリーでいたい?」
「今のところはね」
「一緒に暮らすだけなら良いじゃないか」
「誠との生活をやめてまだ半年も経ってないのよ。少し考えさせて」
「チェッ、タイミング良くプロポーズしたつもりだったんだけどな」
こだわりのない笑いで優介はその話を打ち切った。
麻衣子の心の中にちらりと、優介とならという思いがよぎったが、もしかしたら寂しさから起きた気の迷いかもしれないと、彼女は溜息でその思いを打ち消した。和也という新しい男の存在もある。仕事も波に乗っている。悪い事は何も無い。まだまだ麻衣子はいろんな可能性を秘めている。ここで結婚なんかしてはいられない。母が、結婚に失敗した母が、娘の平凡で幸福な結婚を望む気持ちを裏切るわけではないが、この世の中結婚は女にとってやはり終着点だと麻衣子は思っている。
「私は結婚に向かない女なのよ」
と彼女は心の中で呟いてみた。情けなくもあったがそれが現実なのだ。
「優介」
「何?」
「夕飯、うちで食べて行かない?」
「麻衣子が作ってくれるのか」
「腕を揮うわ」
「その後は?」
「その後って?」
優介の言わんとすることは分かる。横顔で笑う優介の頬に麻衣子は拳を押し当てた。その拳を優介は自分の掌で包み、シフトノブの上へ置いた。そして自分の手をその上から重ねた。
「俺はね、麻衣子と知り合えてとても良かったと思ってるよ」
低い声でゆっくりと優介は言った。
「1つだけ悔やむことがある。下成より早く麻衣子に会わなかったってことさ」
麻衣子は何も言わず前を見ていた。麻衣子の右手は優介の左手の中にある。シフトを変える度に力がこもる優介の少し汗ばんだ掌を麻衣子は感じていた。
日はまだ当分暮れそうにない。少し西に傾きかけてはいるが空がオレンジ色に染まるまでにはかなりの時間が要るようだ。
「首都高に載ろうか」
「どこに行くの?」
「気の向くままに」
「そういうの久し振りだわ」
「ガソリン代心配?」
「まさか」
「よし、行くぞ」
「代々木のパーキングでコーヒーを飲みましょう」
「それは良い考えだ」
「その後は私が運転するわ」
「了解」
麻衣子のマンションまでもうすぐだというのに、第一京浜を右に反れて首都高速1号線へのトールゲートを抜け、都心へと進路を取った。
終わり




