拓真は、目の前にいる男を睨んでいた。目の前には天才画家の和哉がいた。
和哉は、スケッチブックをテーブルに広げて、たくさん絵を描いたであろう五センチしかない短い鉛筆を走らせた。
「何を書いているかわかります?」
和哉の方から、拓真に話しかけた。
「わかりませんよ。ここからじゃ」
「僕が一番大切にしているものです」
そう言って、和哉はスケッチブックを拓真の方へくるりと向けた。
スケッチブックの絵が、拓真の目の前に現れた。

「麗蘭…」

和哉が描いていた絵は、野原の真ん中に立ち振り返った麗蘭の姿だった。
和哉が一番大切にしているものというのは、この絵が表すとおり、麗蘭なのだ。

「あなたに奪われてしまいましたが」

和哉はスケッチブックの絵を自分の方へ向けて、鉛筆を強い力で握った。
和哉の手は震えていた。
ぼきっ、と鉛筆の芯が折れる音がした。

(麗蘭の幸せを、僕は奪ってしまったのかもしれない。麗蘭の彼氏を奪うだなんて、僕は最低な男だ)


「何とか言ったらどうです?」
和哉が深い溜息をつきながら、拓真を見た。
「麗蘭は……幸せなんだろうか」
「それを僕に聞いてどうするんすか」
それはそうなんだけど、と拓真が呟いた。
「麗蘭は、僕をいつも笑顔で迎えてくれるし、いつもにこにこしてくれている。だけど、無理してるんじゃないかって」
「なんでそう思う?」
「麗蘭を奪ったのは間違いなく僕だし…相思相愛だった二人の仲を引き裂くだなんてことをしてしまった」
「自分でしたことだろ?」
和哉は止めていた手を再び動かした。
和哉が絵を描く鉛筆の音だけが静かに響いた。
「あなたといた方が、麗蘭は楽しいんじゃないかって。こんな僕より」
「いい加減にしろ。麗蘭を幸せにするんだろ?」
「もちろん、するさ」
「それなら、麗蘭を信じて少しずつ前に進んでけばいいんじゃねえの?」
「そう、だよな…」
「焦ってんのかよ」
「焦ってなんか…」
和哉はにやりと笑った。
「麗蘭の気持ちが、まだ僕にあるんじゃないかって不安?払拭できないのか?情けない」
拓真は言い返そうと思って和哉を強く睨みつけたが、和哉は怯まない。
言い返す言葉が見つからなかった拓真は、唇を噛み悔しさを顔に滲ませていた。
「そんなんで守れんのか、麗蘭を」
「守れる!」
拓真はテーブルをどん、と叩いた。

「あっ、ぶねえ…!まじかよ…」
和哉は驚いてスケッチブックを抱え勢いよく立ち上がった。
ばきん!という音とともに、テーブルは真っ二つに割れていた。
「若!?大丈夫っすか?」
「あっ、大知。若、テーブル壊しちゃったみたい」
「うお、やっべえ〜!壊しちゃったんすか、若…テーブル高いのに」
「まあ、仕方ねえな…」
大知と健は、壊れたテーブルに駆け寄り頭を抱えていた。